
2012年が幕をあけた。昨年の末、ことしのテーマは【忍】で、乱世をしのぐつもりだったのだが、ちょいとばかり思うところもあり、【放たれたやんちゃなジジイ】もいいなと思っているところだ。
今年はアセンションとかいう年で、マヤ暦では世界が消滅すると言う人もおり、恐怖ビジネスに携わる方々にとってはインチキになるのか本物になるのかの瀬戸際な年でもある。
と、そんなわけで、今年の一首
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【乱声のキワに蠢く玄の氣よ 火焔の響き陽気舞いたて】
世間はなにかと乱世の様相。歴史を紐解けば、このような事態の変わり目、相転移の触媒としての役割は九州が担ってきた。アジアに伝わる火焔太鼓を乱打ださせ、日本古層の執拗低低音に共振させ陽の気力を呼び覚ます役割を担う九州。いよいよ興の時!!
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※毎年の歌始めは、歌いはまだかという、九州某組の組長の脅しがあってこその一首。←なんのこっちゃ(笑
ところで我が家は、まだ夜も明けきれぬ元旦早朝、一番弟子、三番弟子と師匠の私の男三人衆は、鹿児島・南洲寺にて参禅。矢野老師の新春読経ボーカリーゼーションにほれぼれしつつ、波乱万丈、なんでもど~んと来いと、臍下丹田をちょいとばかし練ってきた。
世界というもの、なんどきどんな現象が目の前にやってきても、しかと受け止める覚悟があれば、どーってことない。←ほんとかよ~
さてさて、年初めのブログはなんにしようかと相当迷ったのだが、アジアをまるごと俯瞰して図像させれればピカイチの、ぼくのもっとも尊敬するデザイナーである杉浦康平さんの著書、【宇宙を叩く】をブログ始めとすることにする。
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杉浦さんは【宇宙を叩く】のなかで、対をなして陰陽原理を解き明かす火焔太鼓を並べあい、それを対比することで、古代アジアの人々が楽器に託し聞きとろうとした天界の響きから、アジアや日本の深層を流れる執拗低音へアプローチした。

火焔太鼓は、右方と左方の一対の大太鼓。その意匠は、月と太陽、鳳凰と龍、二つ巴と三つ巴・・・。いくつも対原理が潜んでいる。
舞楽の上演とともに火焔太鼓が叩かれる。神に捧げ、祖霊供養を目的とするため、必ず神の眼を楽しませる舞いがつく。
火焔太鼓はこの舞いの律動を刻む打楽器として、ゆっくりとした、むしろ間のびするようなリズムで叩かれ、舞いは人のふるまいを超え、神への捧げものとなる。
対をなして聳え立つ火焔太鼓、そのデザインのなかで際立つものは、大きく燃え立つ【宝珠形の火焔】だ。その火焔のなかに目を凝らしてみると【龍と鳳凰】の姿がみえる。さらにその中心には【巴紋】。火焔太鼓を叩くことにより、その巴紋が太鼓の響きに加速して渦巻いていくように感じられるのである。
巴のかたちは、また発生時の胎児の姿でもある。古代中国や朝鮮や日本では、この形を「勾玉」として造形し、珍重している。生命力の根源をはらむただならぬ形。勾玉と巴紋は深く相似しあう興味深い形でもある。
人間の体内にも2つの渦が潜んでいる。一つは消化器系のはたらきを統御する口から胃や腸を経て肛門へいたる降下し凝縮するエネルギーの流れ、もうひとつは、身体全体の神経や思考のはたらきを統御する脊椎から脳髄へと上昇し拡散するエネルギーの流れだ。この太極的はふたつの渦が、頭(脳・神経系)と腹(内蔵・消化器系)を中心として人体に存在する。ふたつの渦の共振によって私たちのひとつの身体が形成されている。
杉浦さんは、また火焔太鼓の火焔の中に両界曼荼羅との結びつきにも注目した。曼荼羅(マンダラ)とは、サンスクリット語で「本質(悟りの本質)をうるもの」、あるいは「輪円具足(まろやかに充実した境地)」という意味をもちその世界を極彩色であらわした細密画である。ぼくがインドを彷徨していたとき、たずねた寺院の壁画や、タンカとして書かれた曼荼羅に良く出会った。あるときはネパールのカトマンズでなけなしの金で買い込んだ、けっこう高価な曼荼羅を、タイ・バンコックの飛行場から宿につくあいだのタクシーに忘れ、呆然としたした思い出もある。ちょっとはなしがそれてしまったが、両界曼荼羅とは胎蔵界と金剛界をいう。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅は、中国で9世紀に生み出された重要なふたつの曼荼羅だ。

インド源流とした金剛界曼荼羅と、胎蔵界曼荼羅のふたつの流れは、中国の長安にいた恵果のとろこで重なり、それを恵果一番弟子といわれた弘法大師・空海が中国から日本へと請来する。
その後、空海により胎蔵界と金剛界のふたつをあわせて【両界曼荼羅】とよぶようになった。
胎蔵界と金剛界。ふたつの曼荼羅は、人間の左身(左脳)と右身(右脳)のように対をなし、同時にまた、左身と右身を溶け合わせて一身となる統合的な宇宙原理を伝えている。
ふたつでありながらひとつになる。ふたつにして一である。これは「二而不二」と呼ばれ、密教の本質を示す深い教えだと思われている。
根本原理は「阿ー吽」や、「陰ー陽」の働きに通じ合う。さらにふたつの太鼓で一組となる。火焔太鼓の意匠の特徴とも重なり合うものである。
私淑する杉浦康平の【宇宙を叩く】は古代アジアの人々が楽器に託し聴きとろうとした天界の響きの意図。左右ふたつの火焔太鼓の細部が、両界曼荼羅との結びつきが読み取れる一冊だ。