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彩遊記

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ミトラ教Ⅰ

ミトラ教Ⅰ_f0084105_755570.jpgユーラシアのグランドデザインをみていくときにこのミトラ神を語らずしては始まらない。
ユーラシアを貫く神サマの素なのだが、これといって注目されない忘れられた神である。
年が開け、賞味期限はとっくにすぎてしまった話だが12月25日クリスマス。この日はミトラ神の誕生日である。なにをバカな、キリストの誕生日だろうと誰もが口をそろえることだろう。

実はこのクリスマス。キリスト教がミトラからちょっこら失敬してきたものだ。これはキリスト教徒にとって大問題ではあるのだが、『そんなの関係ね~っ』キリストの冒涜だ!てなところだろう。ミトラ教の存在は、キリスト教徒が最も触れられたくないひとつである。ミトラ教こそ、キリスト教のルーツだからだ。

ローマ帝国時代において、ミトラ教では冬至を大々的に祝う習慣があった。これは、太陽神ミトラが冬至に「生まれ変わる」という信仰による。この習慣をキリスト教が吸収し、イエス・キリストの誕生祭を冬至に祝うようになったとされる。だからイエスの誕生日は旧暦の冬至になった。おお怖いねえ~。

ミトラ教の勢力範囲は、ローマからペルシア、北はイングランド、東はイスラエル・シリア、南はアフリカのサハラ砂漠にまで及び、それは、残された遺跡などから確認されている。中国からわが日本までも姿を変え、よく見渡すと、われわれの傍にもいる。そのことは後でゆっくり書くつもり・・

「もしキリスト教がなんらかの致命的な病によって、その成長を止められていたならば、恐らく世界中がミトラ教になっていただろう。」とまで言わせたミトラだが、313年ミラノ勅令により、キリスト教がローマ帝国の国教となり急速に力を落し始める。






仏教、キリスト教、アジアにあるたいていの宗教は、時代を遡り源流を探っていくとミトラと出合う。

ミトラ神出現は、手元にあるNTT出版『情報の歴史』を捲ってみると甲骨文字がつくられた殷王朝の成立より約500年も古い紀元前1800年頃の神様だ。イランの空港の名はミフラバード(ミトラの街)だ。

ミトラ教は、アーリアの古代宗教がメソポタミアから小アジアに入り、そこの神官集団のあいだで広まった。歴史的には原始ミトラ教と呼ばれている。元々ミトラはアーリアの他のインドラやヴァルナなどの神々と同列であった。ミトラ神は正義と光の神である。アポロ・ヘリオス・ヘラクレスといった英雄にも似ていた。

原始ミトラ教は、古代バビロニア王国にすでに広まっていて、実質的な国教だった。ミトラの原義はシュメール語のメール、すなわち計測という意味で、等価という意味でも使われた。

このメールがインドでスメルとなり、日本のスメラミコトの尊称にまで繋がった。日本の天皇は万有原理の皇帝、あるいは宇宙を統べる皇帝すなわち『ミトラの皇帝』ということになる。アレキサンダーは自らをミトラと呼ばせた。なおウィグルには、東方ミトラ教が広まって国教となった。

原始ミトラからマズダー派が分かれ、アフラ=ミトラという最高神を3つに分離し部分的に崇拝するようになっていく。ミトラ派とマズダー派が対立している頃、ゾロアスター教の祖、ザラシュシュトラが生まれる。

ミトラ派とマズダー派それそれにザラシュシュトラに関する伝説が残っておりミトラ派のザラシュシュトラはアフラ・ミトラ・アパムナートを崇拝していた。マズダー派のザラシュシュトラは従来のダエーワ(インドのヴァルナ神)を上位におくのをやめアフラ(インド名アシュラ)を最高神とした。
その最高神の下に善神スプンタマンユと悪神アンラマンユの善と悪の二つの神をおいた。
この世は両者の戦いであり、やがてアフラが現れ善の世界を実現するというものである。

ここまでのミトラの歴史を整理してみると、ザラスシュトラの出現で、少々混乱を生じるようでここんとこをしっかり整理しておこう。

まず、原始ミトラがミトラ派とマズダ派にわかれた。

それぞれの派が、ザラスシュトラの誕生後にザラスシュトラの影響を受け改革がおこる。

この二派の一部の流れは、アケメネス朝ペルシャ(紀元前550~紀元前370年)頃、離合集散をくりかえし最終的にアフラ・ミトラ・アハナヒータの三つの神を最高神とする三アフラ教、(別名古ゾロアスター教)となった。

ザラシュシュトラ自身はゾロアスター教の開祖となり、もともとその信仰対象はアフラ=ミトラ=アパムナートを信仰する三アフラ教であったということだ。

その後、マズダ派の源流でも、最高神アフラとその下にいた善神スプンタマンユが習合しアフラマズダとなっていく。

一方、悪神アンラマンユは、アフラマズダと袂を別けた完全なる悪神アーリーマンとなりアフラマズダ対アーリーマンの完全な二元論となっていく。これは以後、マズダ教(ゾロアスター教)とよばれるようになる。

ああ~わからん、もういちど整理してみると
ゾロアスターには、古ゾロアスター教=三アフラ教とゾロアスター教=マズダ教のまったく違った流れがあるということだ。

すなわち、現在、ゾロアスター教と呼ばれるものは、原ミトラ教のマズダ派源流ががさらに変化したマズダ教である。ふ~。

お分かりかな?。まあいい。ゾロアスター教はまたゆっくり取り組むことにして。

さてさて、原始ミトラからの流れをもつミトラ派だが、アケメネス朝末期からバビロンの占星術と結びついていく。ミトラの秘儀とバビロニアの占星術が融合し、ズルワーン神学が生まれていく。ここに、一つの完成に至り、原始ミトラがミトラ教となった。ズルワーン神学は、ズルワーンの下にミトラがいて、善悪両神を統括しているとし、これをミトラ教とした。

ミトラ教の特徴は、1.ミトラにどうやって会うかの方法論、2.救世主(メシア)、すなわち密教。すなわち弥勒下生だ。

マズダ教がイランの土着宗教になったのに対し、ミトラは多様な宗教に取り組まれて形を変えていった。それは、中国を経て日本へも来ている。・・つづく。

参考・引用サイト
モナ丼・ミトラ教の歴史
ミトラ教と神智学
謝謝大家!
by ogawakeiichi | 2009-02-17 07:13 | アジア史&思想
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