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彩遊記

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ヴィパッサナーとアフォーダンス

前日エントリーした『ヴィパッサナー瞑想』は、現在の瞬間をとらえるサティ(Sati)の訓練を中心に、「気づき」→「観察」→「洞察」のプロセスを踏みながら、「智慧」が発現するシステムに心を組み替えていく行為であったが、「ヴィバッサナー」とは、「気づき」の対象がこちら側に【アフォード】していることを察知することではないのかな、と、ふと思えてきた。

アフォーダンス(affordance)とは ウィキペディアでは『環境がそこに生活する有機体に対して与える(afford)「意味」のことである。アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソン(1904年 - 1979年)による造語だ。

『生態学的認識論は、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える。知覚は情報を直接手に入れる活動であり、脳の中で情報を間接的につくり出すことではない。 佐々木正人「アフォーダンス-新しい認知の理論」』

わかりすくいえば、モノ自体がニンゲンのためにあるのでなく、モノからニンゲンを見て与えている。つまりニンゲンの脳だけが情報を作るのではなくモノも 情報を持ち、作り出し、我々に与えて(アフォード)しているという見方である。

たとえば、ペンを取ろうとするとき、ペンケースのようにある程度厚みのあるものを取ろうとするときとは、手や指の形は異なってくる。ペンやぺーンケースに触れてから異なるのではなく、それらに触れる手前からすでに手や指はペンやペンケースの形にそって対象のアウトラインをなぞらったカマエをとっている。これをペンやペンケースそれぞれの形が、こちら側に手や指の形を「アフォード」するという。何か熱そうなものだとしたら、また、風船など柔らかいものをつかもうとしたら手は自然と手の形を「アフォード」しやわらかな形をつくる。

すなわち『ヴィパッサナー』とはペンやペンケースなど対象の発する『アフォーダンス』を「気づき」としてとらえることからはじまる。その後「観察」から「洞察」のプロセスを踏み、そしてそこに「智彗」を発現すれば『ヴィパッサナー』ということだ。

つまり、比較的新しいデザイン思考や方法理論としての「アフォーダンス」と瞑想法の「ヴィパッサナー」は、ともにスタートのプラットホームは、おなじであるということだ。

【ヴィパッサナーの言う「気づき】と【心理学の言う「アフォーダンス」】の、最大の違いといえば「アフォーダンス」が、情報が人間の内部にではなく人間の周囲にあると考えるのに対し、「ヴィパッサナー」が人間内部で立ち起こる「気づき」までを包括して、客観的に観察する主体の確立を瞑想によって目指している点であろう。

近年、ものづくりやデザインにおいて、手法や技術だけがクローズアップされている印象がある。手法や技術はもちろん大事だが、哲学がなきゃ、いくら手法だの技術だの習得したって、作るべきものの形は見えてきやしない。


謝謝大家
by ogawakeiichi | 2009-04-15 09:27 | アジア史&思想
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