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彩遊記

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いまだまとまらぬコンティンジェンシーのたわごと


コンティンジェンシーという言葉が頻繁に、ぼくの周囲にやってきた。この言葉、やっと、腑に落ち始めてきたのだが。ストンと腑に落ちるまでにもう一歩。こういうときは、自分で文章として物語、いや、箇条書きにでもしてみることが一番だ。

とうことで、脳にフックを掛けるために、きょうはコンティンジェンシーの考察でいく。
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『いまだまとまらぬコンティンジェンシーのたわごと』

さて、経営でいうところの「コンティンジェンシー理論」とは、外部環境の変化に応じて、組織管理の方針を柔軟に変化させようという理論である。

組織やシステム構造においては、どの企業にもあてはまる最適な組織はなく、そのときのおかれた状況、要因によってシステムの構造が規定されてくる。

例えば、環境の変化が少なく市場が安定しているときはライン型システムをとり、新技術の開発や経済の混乱などがあって不安定な環境に対応しなければならないときはスタッフ型のシステムをとる。

リーダーシップにおいても同様に、唯一最適なリーダーシップ・スタイルというものは存在せず、状況に応じて、望ましいリーダーシップのスタイルは異なる。(ここ

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コンティンジェンシーとは偶発、偶然という意味。「コンティンジェシー(contingency)」という言葉は「条件付けられた」という意味でもある。つまり最適な組織構造は、偶然や偶発によって「条件付けられている」「決められている」ということ。(小川)

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コンティンジェンシーには「偶然の本質」がかかわっているとともに、「生起の本質」もかかわっている。←これは、ちょっと深いぞ。。

システムやわれわれがコンティンジェントであろうとするとは、どういうことかといえば、
コンティンジェントな当事者や当該システムが新たな事態(=現在)にさしかかったときに、そこに連なる歴史や思いちがいや創発的な発見を、たとえ当初の方針や目的から軌道が逸れようともそのまま引き受けていくという偶発的投企に、当事者が当該システムがあえて向かっていくということ、

ローティによると、言語の本質も自己の本質も共同体の本質にもコンティンジェンシーがかかわっていると見たのだ。(松岡)
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つまり、なにかを求め向かっていく偶然が、やってくる偶然との間隙において、鍵と鍵穴がピタッと嵌り、思いがけない以外な展開を引き受けるということ。複雑系でいうところの創発か!?(小川)

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ありていにいえば、今日の社会の特質は「複雑性」と「不確実性」(または不確定性)と「不透明性」にある。この3つは今日の社会だけではなく、近代社会が確立した当時からの特質だ。

 社会が複雑になったというのは、事態やシステムがこみいってきたというだけのことではない。

そこに自分が組みこまれて自己包摂的で自己準拠的になったため、自己と事態の見分けがつきにくくなったからである。GPSとネットにつながったケータイが、そのことをよくあらわしている。

そのため、なんであれ「編集なき情報」(意味を問わない情報)に頼ったまま、その複雑性のなかにぷわぷわ浮かんでいるしかなくなったということが、複雑な社会の属性になってしまったのである。

仕事も複雑なものに向かうしかなくなっている。一番わかりやすいのは電子システムを設計する仕事と、そのミスをデバッギングする仕事が、ほぼ等量のお仕事になっているということだろう。これを、精神的障害の数のぶん、それを知ってもらうための情報とそれを手当てするための人間の数とがだんだん等量に向かっているという例におきかえてもいい。

なぜこんなふうになるかといえば、世の中の複雑性は不確実で不確定なものによって律せられているからだ。ということは、そこには必ずや「偶然」が出入りするようになったということで、そこにリスクとオプションが名状しがたく抱き合わせになっているということだ。つまりはどんな仕事でも、「偶然が必然になっている」。(松岡)
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未来からやってくる偶然に、異端発想の向かっていく偶然。その鍵と鍵穴がパチッと合わさる。

秩序→カオス→相転移をおこす装置としての異端児の存在なきシステムは、エントロピーの増大へと向かっていく。つまり死へと向かっていく。

つまり継続的に進化していくためのきっかけとなるにはちょっとの異端や毒気が必要なのでは・・。(小川)

複雑系をとりこまない考え方もあるにはあるがいずれにしても環境の変化が激しく、また多様性にも富んでいる状況のもとで、企業が継続して存在していくためには、組織は絶えず進化していかなければならないわけだ。(小川)

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「自己組織化」とは何かと言えば、星は必ず球体になり、細胞が膜を持ち、葉の葉脈は先端に伸びていくといったような、何かが「カタチ」造られていく時に働いている仕組みのことで、神話の世界でなら「神様」が創造してゆくのだけれど、そうではなく自然は「自己組織化」の仕組みを持っていると考えればいいでしょうか、宇宙も生命体も、言語や文化も社会も経済も、組織もネットワークも、実はそのようにできあがってくるというのが「複雑系」という学問です。(OHTA MACHIYO)
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ここまでくれば、オートポイエーシスを再びトレースしたくなってきた。
by ogawakeiichi | 2010-03-15 09:42 | 情報とデザイン
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