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彩遊記

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故郷忘じがたく候

f0084105_10261681.jpg大迫一輝さんは義の人だ。言葉の端々にわすれ去って久しい義が溢れでる。彼は薩摩焼十五代沈寿官と言った方がとおりがよい。以前一緒にあるデザイン競技会の審査委員をして以来意気投合しぼくが鹿児島を拠点にしていた数年前は、アジアの話や歴史の話をさかなにしながら天文館や城山の麓にある隠れ家バーなどを散々飲み歩いた。

昨晩、何年ぶりかに二人で飲み歩く。大迫さん夫婦の仲人は司馬遼太郎である。『故郷忘じがたく候』は司馬遼太郎が一輝さんの父十四代沈寿官を軸に十六世紀末に朝鮮の役で島津軍の捕虜となり、薩摩へ流れ着いた薩摩焼の窯里、苗代川で暮した陶工たちの物語。

ちなみに朝鮮の役は豊臣秀吉の大陸制覇のとんでもない野望の一歩。甥の関白秀次に渡した二十五か条の朱印状をみると日本・朝鮮・中国に渡る壮大な「国割り」プランが示されている。まずは、当時の後陽成天皇を北京にうつし、唐の関白には豊臣秀次を就任させ、秀吉自身は寧波に家族とともに住むというものだ。秀吉とって朝鮮半島を、なんと“国内”とみなしていた。結局、漢城にいた朝鮮国王は明に援軍をもとめ、またその一方で李舜臣が率いる朝鮮水軍は反撃に転し、秀吉の病死によって終結していく。この朝鮮観はその後の近代日本にも引き継がれていく。




400年余前、全羅(チョンラ)南道・南原(ナムウォン)で陶磁器を作っていた祖先の沈当吉は朝鮮の先進の陶芸技術を狙った日本軍に捕まり、島津によって薩摩に強制連行された。沈氏一家は日本の地で、朝鮮の名字の「沈」を使って、「薩摩焼」という華やかな陶芸文化を築き上げた。この物語は朝鮮陶工たちの異国の地での数世代に渡る歴史物語を通して、故郷とは何か、民族とは何か、を問いかけてもいる。

伊集院町美山の沈寿官窯を訪ねたおり十五代にお願いして連れて行ってもらったところがある。朝鮮神話の檀君を祀る神社だ。「檀君というのは、・・朝鮮開祖の神祖である。神話では3000人をひきいて太白山の山頂に降臨してきたというが、この神を日本列島に棲むわれわれの場合でいえば,『アマテラスオオミ神』に相当するであろう、苗代川の村では村の鎮守を玉山宮と言い、村を創めていらいこの檀君を祭神としてきた。」と司馬は書く

また「日がたつにつれて私の脳裏に沈寿官氏と苗代川の一種神寂びた村のたたずまいと、それにまだ見ぬ韓神玉山宮のことなどがひろがりはじめ、それが日ごとに幻燈のように動・・・このことをまがりなりにも整理するには小説に書いてしずめてしまうよりほかないが、しかしいま小説を書くには気持ちの酵熟が足らず、気持ちのなかから沸き立ってくるあわつぶが少し多すぎるようにもおもわれる。」とも書く。

この朝鮮神話の檀君を祀る神社に、ぼくはその後もなぜか足を運ぶことになる。ひとつには環東シナ海の某プロジェクトの鍵と鍵穴を探しているのかも知れない。

なんの変哲もない、“村の鎮守の神様”だ。だが、十五代の話によるといつの時代か聞くのを忘れたが以前は朝鮮様式だったという。

耳を澄ますと東シナ海の波濤の音が風にのり聞こえてくる。朝鮮から連れられ美山に住む人々はこの丘に登り、海風乗ってくる海鳴りを聞くたび、朝鮮神話の檀君を祀る杜で故郷忘じがたく候の気分だったのだろう。この丘に久々登りつらつらと司馬遼太郎に思いを馳せ十五代の姿と結べば、どーも司馬さんはこの作品を書くに当たり『民族神とのムスビ』を伏流エンジン仕立て上げ、沈一族への“義の返礼”としたのではないか、ふと、そんな気がする夜だった。
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by ogawakeiichi | 2009-02-21 22:09 | 鹿児島情報史
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