ブログトップ

彩遊記

ogawakeiic.exblog.jp

白川静

f0084105_1151258.jpg北京の清華大学美術学院にいる娘から聞いた話だが、白川静の大著“字統”や“字訓““字通”のコピーをとる機会が増えているという。

他の学部学生からの依頼であるらしい。現在、白川静の書籍は美術学院にしかないのだそうだ。

中国の漢字研究に関しては後漢時代の許鎮の「説文解字」の影響が強く、中華のメンツもあり、とても他国日本の漢字研究など受け入れ難く、漢字の体系化は、紀元100年に許慎が著した「説文解字」にならうのが常だった。

「説文解字」は、漢字の部首を540に分け、あくまで「字形」による文字解釈であり、白川静が登場するまで、漢字の原理があきらかになるという見解はなかった。ビデオアートのナムジュン・パイクとデザイナーの杉浦康平が白川静を高く評価していたのは、白川の甲骨文字をただただトレースを繰り返す作業過程のなかで煌めく瞬間を待つ漢字解読のやり方に芸術的センスを感じとったからなのだろう。

甲骨文字が中国奥地の安陽の小屯村で偶然に発見されたのは、やっと20世紀がはじまる直前の1899年のこと、つまりは、白川静の登場にいたるまで、甲骨文・金文を含めた漢字組織の「一つの体系」も「一定の原理」も追求できずじまいだったのだ。

その後、日本帰りの中国人留学生らが本国で教壇にたち、研究に従事する人材が増えるに従い、許鎮の漢字の語源解釈もやおら変化を見せはじめているのか清華大のコピーを取る話からも、白川の業績は徐々に漢字のルーツ中国でも注目されてきたことがうかがい知れる。





白川静は文字がもつ本来の「力」というものを想定しそれを「呪能」とよんだ。文字には呪能があり、その呪能によって文字がつくられたのだと想定した。呪能とは、人間が文字にこめた原初のはたらきのこと。呪うとはかぎらない。祝うこと、念じること、どこかへ行くこと、何かを探すこと、出来事がおころだろうということ、それらを文字から文字の力において文字自身ではたそうとしているのが「文字呪能」である。アラブの文字やホメロスの六脚韻にも呪能はあった。


甲骨文字に白川が呪能を見て取ったのは、それが「貞卜(ていぼく)」であったからだ。貞卜とは、占いのこと。甲骨に傷をつけ、裏面から灼くことで主に縦方向に規則的に走るひびによって吉凶を占う。このとき、前もって占うべきことがら「貞辞」を甲骨に刻むのだが、これが「最初の呪能文字」「神聖文字」だ。5000種あまりが収集されている。白川は、その中から世界模型になりうる基本の漢字を100個ぐらい発見し、それぞれの漢字の成り立ちや意味を独自に研究を進めていく。

著者松岡正剛は白川静の漢字の奥にある世界観への案内方法を模索し、そのベースに「漢字マザー」という呼び名をつける。たとえば「サイ」 がその「漢字マザー」のひとつである。サイ」とは【言】の下の“口”にあたる部分のこと。漢字の「口」は「くち」ではなく、神に祝詞をあげる際のお供えの器の象徴である、と白川静は解き明かす。※甲骨文字のフォントがないのでここで表示することはできない。

“口”という字は祝詞や呪文のような大変大事な言葉、つまり言霊を、紙や木を書いていれておく容器のようなものの総称として「サイ」とよんだ。かくしてつまり、「言」という文字は、神に祈って何かを誓うときの神聖な言葉を示していたのだ。

「白川静」の中のひとつのキーワードに「遊」「興」と「蕾」がある。遊は自由に振舞うこと、興とは発想し何かを始めようとすることである。蕾は始まりで、そこから花も咲く。蕾はスポルタ、元気を出しみんなでやるスポーツとつながっていく。

白川静の好きだった「遊」「興」「蕾」、そして「狂」。この字こそ今、われわれが忘れてはならない呪能の文字でであるはずだ。さあ混沌朦朧の三千世界に、蕾を興し狂狷出遊されたし!
[PR]
by ogawakeiichi | 2009-02-22 12:01 | アジア史&思想
<< 碧巌録 故郷忘じがたく候 >>