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彩遊記

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徽宗・桃鳩図

徽宗・桃鳩図_f0084105_10173741.jpg中野美代子女史は日本における中国研究者のぴか一である。彼女のすごいところは中国文学だけでなく、シノロジー図像学の第一人者でもあることだ。中国での彼女の評価はどうかと思い、百度(中国の検索エンジン)で調べてみると『中国人的思維模式』 という本が出版されている。その評価もなかなかイイ。ちなみに日本でのタイトルは『中国人の思考様式 - 小説の世界から』(講談社現代新書、1974年) です。

『綺想迷画大全』は中野美代子にしては平素な文章で、すらすら読める。「歯医者さんの待合室」という、やや特殊な月刊誌に三年にわたって掲載したものだ。どうりで納得。記録に採りたい内容満載の本なのだが、ここでは「徽宗皇帝」を取り上げたい。

なぜ、徽宗皇帝かといえば、ぼくの水墨の師匠が、「徽宗はなぁ、美術に狂って国を滅ぼしたんじゃ、ははは・・」と言ってたことを覚えているからだ。徽宗の絵画は繊細だ。中国画の中でゴンビーとよばれる書き方で日本語訳にすると工筆画となる。この工筆花鳥画を訓練するさい、その模写教材として必ずでてくるものでもある。

工筆画はいわゆる細筆で輪郭を繊細にとり、輪郭の中を2本の筆を使い色彩を入れてゆく。大胆な絵の傾向にあるぼくにとってはちょっと苦手だ。だから、徽宗は知ってても、記憶も薄く、記録を採るなどど思ったことはなかったが、中野美代子の『綺想迷画大全』を眺めていると、徽宗に迫ってみたくなってきた。





徽宗皇帝は、文人、画人としてその才能が高く評価され、宋代を代表する人物の一人とされる。徽宗は花鳥画のほかに山水画も描いている。また、この風流皇帝は珍しいもの好きで珍獣、面白い花、木などを全国から集め、写生したという。芸術を奨励し、皇帝画院の画家を採用するときは画題をもうけて絵を描かせ、その出来栄えで決めていた。若かりし頃、ぼくが経営するデザイン事務所で、『フルマラソンを完走すると給料をあげる』とか、して、スタッフに嫌われたことがあったなあ~へへっ。余談でした。。

さらに、書、画、詞、琴などの芸術的道楽に没頭。自らの創作活動のために民衆に重税をかけ、庭園造営のための大岩(花石綱)や植物、珍獣を遠く南方より運ばせたものを描き「宣和督覧冊」として纏めた。また道教を深く信仰するあまり、政和七年(1118年)に自らを道教上の最高天である神霄を統治していた神霄玉清王の生まれ変わりであると宣言し、神霄の教えは道教の中で無上の道であるとした。その翌年宣和元年には天寧万寿観という道観を神霄玉清万寿宮という名に改め碑を建てている。

このように、徽宗は政治的には亡国の風流皇帝として悪評高いが、文化史上はパトロンとして、蒐集家とて、かつ自らの詩書画をもって名高い。

“桃鳩図”はおそろしく簡素な画面ながら、絵画のもつ宇宙的な力をつきつけてくる。亡き澁澤龍彦は、“桃鳩図”について「もしかしたら、この鳩がむくむくとふくらんでいるのは、たえず永遠の現在を呼吸しているのでは」と述べて「プラトン的な鳩」と呼んでいる。その極度に幾何学的な空間構成がら「プラトン」を感じ取ったのであろう。この鳩が凝視しているのは、まさしく「永遠の現在」、つまり宋朝の永遠性につらなる「現在」であったのだが、この絵を描いてから二十年後に、ほかならぬ徽宗は、失政のゆえに金軍に捕らえられ、極寒の地で失明してしんでいく。と同時に北宋も滅亡。
徽宗・桃鳩図_f0084105_10151648.jpg


“桃鳩図”は現在、絵画などの収集家としても知られた明治の元老、井上馨によって日本にもたらされ、現在でも日本にある(個人蔵)。このは国宝に指定されている。こんな大美術品をだ~~れが所有してるのだろう??
by ogawakeiichi | 2009-03-04 10:26 | アジア史&思想
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