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彩遊記

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宇宙を叩く

f0084105_834169.jpgアシスタントデザイナーの頃の話だ。デザイナーとは名がつくもののペーペーの一番下っ端である。仕事といえば、先輩デザイナーのラフスケッチに書き込んだ大まかな文字と指定を原稿用紙に写し書き換え、文字を打つ写植屋さんへと自転車で走り、そしてどこよりも早く打ち上げてもらう。それが主な仕事だ。写植が打ち上がるのは、だいたい深夜だ。当時はバブル経済の絶頂期である。どの写植屋もどのデザイン事務所も徹夜仕事の連続で、当然、時には気も荒立ち、写植屋さんとの言い争いは日常茶飯事のことだった。

そんな頃、当時杉浦康平氏といえば、写植システムメーカーである写研から文字をテーマにしたカレンダーやタイポグラフの実験を次々繰りだす、ちょっとマニアックなデザイナーでブータン王国の切手をデザインしたり、あのオブジェマガジン“遊”のデザインをしていた。。

ぼくはアジアの色彩でアジアのデザインを繰り出す杉浦氏が制作した、写植屋さん限定の、写研の刊行物が欲しくて、欲しくて、常日頃はどちらかといえば仲の良くない写植屋さんに缶コーヒーを買っていき、御機嫌をとりながら、なんとかして写研から出る杉浦デザインを頂戴していた思い出がある。

杉浦氏が力を注いできたテーマに「アジア」がある。そのひとつに『火焔太鼓』がある。若い頃,火焔太鼓と出会い、その強烈な印象が彼を『火焔太鼓』へと魅せていく。





燃えあがる火焔を模したその形、意匠は眼をうばうほどに素晴らしいものなのに、その音は貧しい。音と形があまりにもかけ離れている。このことに驚き、それはなぜか・・・と考えこんだ。以来、この謎が絶えず杉浦氏の意識の底にくすぶり続けることになる。

20年前の夏、彼はアジアに関する小論をまとめてみようと思い立つ。するとそれまでのアジア体験が次つぎとかさなりあい、いよいよアジアの本質らしきものが見えはじめてくる。

アジアを旅行するたびに意匠や楽器に触れ、資料を探し、火焔太鼓の源流を探し続けていたからだ。その過程で、同じような賑やかな装飾をもつ中国の建鼓(けんこ)という太鼓に出会う。

この二つの太鼓を核にし、アジア古来の音楽とその意匠に対する思考方法は、『宇宙を叩く』という集大成に纏め上げられていく。

『火焔太鼓』は、楽器でありながら、その打音にあまり力点が置かれていない。むしろ、華やぐ装飾をもつ存在そのものに意味がある。こんな太鼓は、ヨーロッパでは見られない。ヨーロッパの音楽は音の美しさや卓越した技巧、なによりも調和的な音階音楽を目指したので、濁りのある音や雑音を排除する。それが今日の音楽の主流でもある。

しかし、アジアでは、音程がゆらぎ、雑音を発する非機能的な楽器がいくつも生まれ、今なお存在している。その代表が舞楽で使われる『火焔太鼓』であり、中国の『建鼓』である。

『火焔太鼓』は、右方と左方の一対の大太鼓だ。その意匠のなかには、月と太陽、鳳凰と龍、二つ巴と三つ巴・・・。いくつもの対原理が潜んでいる。
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                       『火焔太鼓・二つ巴』

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                       『火焔太鼓・三つ巴』

舞楽の上演とともに火焔太鼓が叩かれる。神に捧げ、祖霊供養を目的とするため、必ず神の眼を楽しませる舞いが伴う。『火焔太鼓』はこの舞いの律動を刻む打楽器として、ゆっくりとした、むしろ間のびするようなリズムで叩かれていく。舞いは人のふるまいを超え、神への捧げものとなる。もはや音楽は聴くためのものではない。

一方、『建鼓』は一本の柱に貫かれ「宙に浮く大太鼓」だ。柱の先端には「鳥」が羽ばたく。四方に伸びる「龍の首」から垂れ下がる「流蘇」は生命力を表わす。柱の足元は四頭の虎が取り囲み四方を睨んでいる。この建鼓を一撃する音は心柱を伝って天にもとどく、宇宙的な響きとなっていく。
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                         『建鼓』

『火焔太鼓』と『建鼓』、いずれも現代の私たちが音楽と考え、ただ楽しむ・・・というものと、音のあり方、そして舞いのあり方が、かなり遠いものになっている。

アジアにおいて音楽は、単に民衆が楽しむためのものだけではない。心を癒し、世界全体の活力を蘇らせようとする「楽」の意味が強い。これが太鼓を通してみたアジアの音楽観である。

古来アジアでは、音楽を演奏する場所(方位)にも意味があり、奏でる音は天地自然をみたすさまざまな物質の響きの調和を目指し、四季の移ろいにも感応するもの。つきつめると、天地自然を充たしきる気(元気の気、インドではプラーナ)の動きに結びつく。音を生み、音を響かせる源に気やプラーナがあると考える。

音の響きは自然の活力を増大させる。聴き手が大自然の気の流れに溶けこみ、一体化することが音楽の理想だ。アジアの国々、とりわけインドや中国では、これが音楽の根本だと考えられていた。

つまり音を媒介にして天と地(人をふくむ)が響き合い、天と地が一体化する。これを「天人照応」、あるいは「天人合一」という。

しかし、ここだけには留まらない。それは両界曼陀羅と結びついていく。

アジアの楽器、天界の響き、マンダラの煌き・・へと繋がっていく。


謝謝大家


参考・引用
工作舎・宇宙を叩く
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by ogawakeiichi | 2009-03-20 08:44 | アジア史&思想
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