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彩遊記

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祈りの造形

f0084105_10193822.jpgカルカッタと呼んでいたのが、いつのまにやらコルカタという呼び名に変わってしまった。ビルマもいまでは、ミャンマーになり、セイロンもスリランカである。

バンコックの正式名は 

『クルンテープマハーナコーン ボーウォーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロック ポップノッパラット ラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェート マハーサターン アモーンピマーン アワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット 』

なんじゃこれは。イン神(インドラ、帝釈天)がウィッサヌカム神(ヴィシュヌカルマ神)に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の卓越した宝石のような、偉大な天使の都という意味だ。

きょうの記憶の記録は、都市の名前の話じゃないのだが、ぼくがはじめてインドに降り立った街が、コルカタ(カルカッタ)だ。※なんと長い前振り・・(笑

バンコックを飛び立ったエアーインディアは深夜2時、カルカッタ空港に到着。イミグレを抜け到着ロビーに出るなり、バクシーシ(お恵みください)の声に取り囲まれる。乞食の攻撃を覚悟していたとはいうものの、ガイドブックもない時代のことだ。、朝が明けるまで、市内行きの始発のバスが出るまで、必死に、お恵みを強請る形相でのバクシーシに、ぼくはさっそくインドの洗礼を受けることになる。





仏教はインドが発祥の地でありながら、現在、その気配はちょろちょろとしか燃えていない。アーリア人がやってき、以来カースト制度のあるヒンズー教だ。だから乞食も多い。ブッダが悟りを開いたブッダガヤの大塔だって、ヒンドゥー教徒に占領され、その拝観料は仏教徒のモノではない。※現在、佐々井秀嶺が、インド国籍を取得後、インド仏教界の頂点に立ち「仏教徒のもとに返せ」という聖地復興運動を展開している。

またまた話が飛びすぎてしまった。
1987年、NHK市民大学で放送した「祈りの造形」から、アジアのかたちを採取していこうと思う。この本はいまでは手に入らない貴重なテキスト。東京の義母が送ってくれた。教育テレビのテキストなどと侮ってはいけない。これが廉価でじつにわかりやすくて、内容豊富だ。一時期、某高校で中国語を教えていたときの教材も、NHK中国語講座のテキストが一番良かった。よくよく考えてみれば、日本全国、年齢・職業・性別関係なしで“ヤル気人”を対象とするテキストだから、これは間違いなくイイ。

さてさて、仏の功徳とか心、これを人間の姿で表現したのが仏像だ。この人格化表現が紀元1世紀の中頃から、インドはもちろんのこと、中国、朝鮮半島、それぞれの国でたくさんの仏像がつくられた。これが経典と共に日本へ伝わってきたのが紀元後の6世紀。

うじゃうじゃ、一見なにがなんだかわからない仏像の世界だが、仏の世界を分類・整理してみると、◆阿弥陀如来・薬師如来という『如来』グループ。また◆観音菩薩・地蔵菩薩という『菩薩』グループ。◆不動明王・愛染明王という『明王』グループ、そして◆仁王さん・四天王・十二神将という『天部』のグループ、とわずかに、この四つに分類できる。

まずは『如来』だ。『如来』は「慈」の表現である。慈というのは、父親のように厳しいということをいう。だから如来というのは厳しさがないといけない。
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                     阿弥陀如来像  平等院


それに比べ『菩薩』は徹底して易しくすればいい。そこで坊さんたちが菩薩を拝むときは「南無大慈悲観世音菩薩」と唱える。またお堂に「大慈殿」という額が掛かっていれば、このなかには菩薩が祀られている。
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                   弥勒菩薩半跏思惟像 広隆寺

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                千体千手観音菩薩像  妙法院三十三間堂

『明王』は、不動明王とか愛染明王というのは非常に怖い顔をしている。なぜ怖い顔かというと、つまり火の中に飛び込んで、なにがなんでも助けたいという必死の形相なのである。目には涙が潤んでいるようなそういう形相。これが不動の心だ。だから坊さんが不動明王を拝むときは「南無大慈悲不動明王」と唱える。
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                    伐折羅大将 新薬師寺

また、『如来』、『菩薩』、『明王』、こういう仏たちに対して邪魔をするものがでてきたとき、いつでも戦ってやるという仏が『天部』だ。だから天部たちは、鎧を身に着けたり、また武器をもって常に臨戦体勢をとっている。

じゃあ『如来』、『菩薩』、『明王』、『天部』という仏たちが人格化表現されるときのモデルは誰かというと、それは、やはりお釈迦様。お釈迦様がシッダールタという王子のころの、武勇に優れていた姿が「不動明王」のモデルになった。

出家して6年間の苦行を経、三十五歳で悟りを開いた成道の姿、これが「如来」のモデルになった。

王子の頃、たくさんの家来がいた。家来のなかには女性もいた。それらが全部、天部類のモデルになった。それゆえ天部だけは男性、女性の区別がある。すなわち、如来、菩薩、明王のモデルはシッタールタ。天部は王子シッタールタの家来たちがモデルなのである。


謝謝大家
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by ogawakeiichi | 2009-03-22 10:23 | アジア史&思想
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