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彩遊記

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ギリシャからヘレニズム

東洋では「悟り」とか「融通無碍」など、どちらかというと曖昧な説明のつかない感覚を大切にしていたのに対し、西洋の思想家は論理的で、実証可能なことを詰めて考え、人間の本質というものを探ろうとした。

そこには一神教に特有の二者択一的な思考の進行、すなわち二分法的な論理を基本に、システム的な思索や価値観を組み立てていった。その先駆者が、ヘラクレイトス、パルメニデス、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった、古代ギリシャの哲人たちだ。
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▲アテナイの学堂

ギリシャ哲学の中心にあったのは、【理性】である、人間がどのように「理性」を獲得し、理性的に生きるかということを、論理的に考えた。

東洋の仏教や、儒教や道教は、どちらかというと個人的な体験やトップの理想像を大事にするもので、「悟り」を開いたり、「礼」を尽くしたり「仁」を身につけたりすることは、あくまで個人や、そのあつまりである集団の修行や努力によるものだ。

儒教と交ざりあった仏教が中国や日本で、国家システムとして取り入れられたとき、それはあくまで「君主」という一人やあるいは少数の人間にとっての「理想」というものを個から家族へ、そして最後は国家へとして広げていったのに対し、ギリシャ哲学は、人間が普遍的に共有できる理屈を考えようとした。これを【ロゴス】とか【ロジック】という。それを、【理性】というものの構造や筋書きにもとづいて、人間社会や人間文化全般に及ぼそうと考えた。

こうして古代ギリシャでは、ターレスやアナクシマンドロス、アナクシメネスといった【イオニアの哲人】たちが登場して、自然の動きには【理】というものがあるだろうと考えた。これを自然哲学という。

次に【エレア学派】が登場して、人間社会や人間の考え方にも「理」があるのではないかと見ていった。それを「理性」という。

たとえば【パルメニデス】は、この理性を人間の関係だけでなく、宇宙の摂理から導き出すべきだ、それを「倫理」というものにするべきだということを主張する。

さらに【ヘラクレイトス】は、そのような理性というものは、固定的なのではなく、川のような流れをもっているのだと考えた。ところが、こういう議論は際限なく理屈をふやしていく。人間の考えることは流れのようにもみえるけど、見方を変えれば「ものさし」のようにも、人のあゆみのようにも、雲の形にもみえていく。このようなとりとめのない議論を【ソフィスト】たちの議論という。
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▲ソクラテス

そこで登場するのが【ソクラテス】である。ソクラテスは【理性】は【ソフィア(知と愛)】でなければならないと考えた。しかし人間が別々に勝手に考えていたのではダメであり、人間と人間の対話の中に生まれてくるのではないかと考え、ソクラテスはそれを実践しつづけるわけである。これがフィロソフィア、つまり哲学である。

しかし、ソクラテスは志なかばで毒殺されてしまう。そこで師の意志をつぎ、これら哲人たちの考えた理性というものを総合化しようとしたのが、弟子の【プラトン】である。プラトンは理性というものをもとにした「理念」や「理想」というものを見出していく。


「理」というものは理屈【ロゴス】であるわけであるが、プラトンはそれをもっとヴィジョンしにて「理」だけでつくられている人間社会や世界というものがあるのではないかと説き、それを【イデア】と呼んだ。これが有名なプラトンの「イデア主義」「理念主義」といわれるものだ。

プラトンは、もともとレスラーだったが、紀元前387年頃、その世界ではじめて【アカデミア】という本格的な学校をつくる。
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▲プラトン アリストテレス

プラトンを継いだのが【アリストテレス】で、アリストテレスもまた【リュケイオン】という学校を建てる。

プラトンの弟子であったアリストテレスは「イデア」の研究をさらに拡張して、森羅万象に関する「学」というものの体系をつくりだそうと考える。まず【自然学(フィシカ)】という自然に関する学問を切り出し、これを整え、そのうえで【形而上学(メタフィシカ)】という思考や思索に関する学問を構想する。

さらに詩学や表現についても試論を次々に発表した。その膨大な著作は、さしずめ古代最大のシステム工学者といってもよい。

この「フィシカ(自然学)」と「メタフィシカ(形而上学)」という二大学問は、現在もほぼすべての学問を覆うほどのものである。すなわちヨーロッパの学問のほとんどはアリストテレスに発しているといっても過言ではない。

しかしプラトンのイデアを、実践的に社会の組み立てとして成功をおさめたのは、プラトンの弟子、アリストテレスの教えを受けた、一代にしてマケドニアを築き上げたあの【アレキサンダー大王】だ。
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▲アレキサンダー

アレキサンダーは読書家で当時のヨーロッパでは第一級の知識人だったようだ。アレキサンダーの国家づくりは、世界中にプラトンの「イデア」に基づいた理想都市をつくっていくというもので、伝承によるとなんと70もの都市をつくったといわれている。そのすべてが【アレキサンドリア】という都市名である。

各都市の中心には必ず知識の女神である「ミューズ」から名づけられた【ムセイオン】というミュージアムの元になったものがおかれている。

一つの「アレキサンドリア」のなかで「ムセイオン」が3分の1とか4分の1とかの大きさを占めていたというからいかに、この都市モデルが知識や情報というものを重視していたかを窺える。そこでは年に一回、「知のオリンピック」が開かれていた。それはまさに神々の完璧な、“地上化”をめざしたものであった。

このアレキサンドリアによって世界中にひろまった文化全体にことを【ヘレニズム】と呼ぶ。【コイネー】という共通言語をつくったことも、ヘレニズムの世界的な波及につながった大きな要因でもある。

ヘレニズムに対し、ユダヤ教の純粋な主義主張を【ヘブライズム】という。ヘブライズムはしだいにヘレニズムによってやわらかくなっていく。その柔らかくなったところからキリスト教が誕生してきた。

「ヘレニズム」の特徴は、「神の世界の地上化」である。人間世界の中心原理になるような普遍の原理【(宇宙観)ーコスモス】がいくつ試作されていく。

ユダヤ教のコスモロジーである「ヘブライズム」にギリシャの流れをもつ「ヘレニズム」が交差して、いよいよローマ帝国の社会がはじまっていく。

(引用:松岡正剛・17歳のための世界と日本の見方)
by ogawakeiichi | 2009-03-28 09:26 | 西洋史&思想
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