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彩遊記

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ポストモダン

日本はなんでも古くなるのがおっそろしく早い不思議な国だ。「ポスト・モダンはもう古い」みたいな見方を聞くと、じゃあ、次はなんて呼ぶの?などなど。ぼくのなかではポストモダンの言葉の意味が随分前から混乱している。

ちなみにぼくはポストモダンという言葉を放ったことはなく人の言葉や本からインプットするのみの単語だ。このポストモダンという名辞なのだが、調べてみると、世間ではずいぶん恣意的に使われているらしい。

また、どうやら、建築と文学と思想の立ち居地でも違うらしい。それぞれの文脈におけるシニフィアンとシニフィエに問題がありそうだ。つまり、立場。文脈で【ポストモダンという言葉】の意味が違う。

■『現代思想を読む辞典』はポストモダンをこう説明する
「近代(モダン)のあとに到来した時代を意味するこの語は、1970年代に、とりわけアメリカの建築、デザイン批評の分野で使われはじめた。ポストモダンあるいはポストモダニズムという語はこの場合、近代主義への反動、つまり、芸術をその構成要素に純化すべきという形式的な次元での要請と、芸術史を芸術そのものの純粋化の過程とみる歴史的な次元での進化論への反動として用いられた。この種の言説はまた、高度資本主義社会において露呈する種々の文化的矛盾の源泉を、近代芸術の実験主義の極端な展開に見出だす、ダニエル・ベルのような新保守主義のイデオローグの言説としばしば重なりあう。」(『現代思想を読む事典』講談社現代新書、今村仁司・編)

■ウィキぺディアによると『ポスト・モダン建築』を
ポストモダン建築(ポストモダンけんちく)は、モダニズム建築への批判から提唱された建築のスタイル。合理的で機能主義的となった近代モダニズム建築に対し、その反動として現れた装飾性、折衷性、過剰性などの回復を目指した建築のこと。1980年代を中心に流行した。

■知っておきたい建築様式学入門では 
モダン様式の教条フレーズは、建築家ミースの唱えた「Less is More」だった。即ち、「一切の装飾的要素を取り払って余計なものを省いた状態(Less)は、逆に強い印象、訴求力を持ちうる(More)」というものだ。

モダン様式は、その目新しさとともに鉄・アルミ・ガラスといった新しい建築材料との相性の良さとあいまって、20世紀前半、燎原の火のように世界中に広がっていく。

その結果、モダン様式の超高層ビルの建てこんだ中心市街地は、看板の文字を隠すとアジアなのかヨーロッパなのかカナダなのかオーストラリアなのか分からないような状態になっていた。

一時は世界中の建築家も評論家も信じて疑わなかった「Less is More」について、異を唱え始める動きが、モダン建築が最も発達したアメリカで起こった。

建築作品「母の家(Vanna Venturi House)」や著作『建築の複合(多様性)と対立』『ラスヴェガスに学ぶ』等で知られる建築家、ロバート・ベンチューリ(参考サイトはこちら)は、巨匠ミースの残した格言をもじって「Less is bore」と表した。これがポストモダン・ムーブメント(広範な創作活動)を的確に説明するキーワードとなった。「やっぱり何にもないのは退屈だ」というわけである。

その反動がやってきた時に、アールヌーボーやアールデコに戻るかというとそうではなく、バロックやロココでもなくギリシャ・ローマ様式を蘇らせた「ポストモダン」だった。


■『ポスト・モダン思想』に関して最近メディアに頻出度の高い起訴休職外交事務官というユニークな肩書きをもつ佐藤優は、こう分析している。
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「日本におけるポストモダンは、浅田彰さんが『構造と力』(勁草書房、1983年刊)を出したときに始まったと思います。私が大学院の一回生でした。『構造と力』が世に出たことで「浅田革命」と呼んでもいい現象が生まれました。私は、1985年4月に外務省に入省し、翌年の夏、外国へ行ってしまった。日本に戻ってくるのは、1995年3月です。従ってポストモダンの嵐とバブルの嵐を知らなかったわけですね。そして日本に帰ってきたときに、日本の思想状況は驚くべきものに私には見えたわけです。これほどマスメディアの世界と知的なアカデミズムの世界が乖離している国というのは、世界でも珍しいのです。私が日本を出たとき、1986年の時点で乖離はそれほどありませんでした。ところが今や恐るべき乖離が起きているんですね。私はポストモダンに対して極めて批判的です。というのは、周辺から物事を見るというのはけっこう、ラカンでもけっこうフーコーでもけっこう、デリダでもけっこう。おもしろい知的な物語を出して脱構築していくのはけっこう。/ただし重要な真実を忘れてはいけない。人間は物語を作る動物だということです。知識人の大きな仕事というのは物語を作っていく。大きな物語を作っていくことなのですね。ところがそこの責任を知識人が放棄してしまって、日本の知識人たちは自らの小さな物語のところでエンジョイしてる。

昨日(2007年3月10日)私はある学会でインテリジェンスの話をしてくれと言われて行ってきたのですが、それは非常に優秀で真面目な学者たちですよ。しかしあとから大学院生や助手たちがすり寄ってくると吐き気がするのです。新聞紙の上にクソがついたものを乾燥させて落として、そのあとの染みがどういう形かというような議論をしている。その類の議論ですので、インテリジェンスの実務をやっていた私からすると関係のない話なのです。ところがアカデミズムの中ではそこがマーケットになっている。そういうようなところを見るにつけ、このポストモダンの後遺症からどうやって脱け出していくかということがとても重要だと思っています。≫(2007年3月11日 「フォーラム神保町」より) 
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以上、思想面からポスト・モダニズムを見ていくとなると、ほぼポスト構造主義と同一だ。ポスト構造主義の入門書など読んでいくと、「差異」、「テクスト」、「ディスクール」といった、ポスト・モダニズムのキーワードが出てくる。

しかし、しかしだがこうやって並べてみても、ぼくにはまだ、ポストモダンがストンと腑に落ちてこないのだ。そもそも、「現代様式(モダン)」合理的シンプルなスタイルの反動として「脱現代様式(ポストモダン)」となるとすれば、時間の嚆矢は未来へ向けて進んでいるわけで、どこまでが現代なのかどこからが脱現代なのかが不明瞭なわけで、それとも時間軸とは無関係に建築、文学、思想、それぞれのカテゴリー内部において「モノ、コトの変化」をもってモダンからポストモダンへと言えるのか?。

だとすれば●●スタイルとか、の単語が似合う。
こりゃあ、「ポストモダン」って、言葉に問題ありだな。
う~~ん。まあ、この程度で曖昧に終わるのもイイいいかぁ~。
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by ogawakeiichi | 2009-05-08 13:01 | 西洋史&思想
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