ブログトップ

彩遊記

ogawakeiic.exblog.jp

オートポイエーシス・トレーニング

f0084105_16032709.png
膨大な量の書籍を整理処分している。デザイン修行時代、薄給のなかで何年も最優先で買い続けた誠文堂の「IDEA」。1996年から12年滞在した中国で買い集めたデザイン関連書籍。数多くのパンフレットなどなど今後見ることもしないであろうと思える書籍は思い切り処分している。束ねた書籍をもう一度振り返れば、偶然にも目に留まり“金銭”という対価の支払い動機とその後の物語があるものばかりだ。

どうしても処分しきれなかった本を見渡せばある特徴が見えてくる。それはなんど読んでもなかなか腑に落ちない濃厚な味わいをもつ謎めいたシリーズモノ。工作舎“遊”、中国の思想全12巻、梅原猛著作集、青土社や求龍堂など哲学書群だ。

ガイドブックもない時代、南アジア・インド彷徨、中国生活。チベットや新疆ウイグルへの旅へて、8000M級の山々を仰いでのヒマラヤトレック、延々と続くウイグルの砂漠の神々しさに涙したことがあったが、i言い換えれば身体感覚を通したリアリティーからの経験記憶としてインプットはしてきたが、それは次第に思索へのインナートリップへと向かっていく。

『われわれは、そもそもにおいて「単語の目録」と「イメージの辞書」と「ルールの群」によって知覚と認識と行動をおこしている(松岡正剛)』

普通一般的には「単語の辞書」だけに偏るそうだが、わたしにはなぜか旅やアート、デザインで得た視覚からの「イメージの辞書」が先行し、言葉のアウトプットすることは苦手であった。それはたぶんに「単語の目録」を記憶として保存する努力が足りなかったせいであろう。※ブログはそのための言語訓練でもあるが・・

本を整理処分するなかで捨てられなかったひとつに“オートポイエース”関連のファイルがある。このオートポイエースという概念、中国滞在中にアフォーダンスとともにわたしのもとに頻繁に降りかかってきたものだが。わかったつもりになると、するっとどこかへ消え去っていくやっかいな概念でもある。

ところでこの“わかる”という概念だがそもそもオートポイエースから“わかる”とは、「わかる」=「学習する」と言うことで、学習について一時的に知識の活用がうまくできても、それはコツの修得にどどまり能力そのものが開発されているわけではない。(河本英夫)

前置きが長くなったが、書籍整理で再会したコピーのファイルがトリガーとなりこれまで幾度も弾き飛ばされていまだ攻略できない概念オートポイエースに再び嚆矢を向けてみることにした。

さくっと、モードを変えた文章で。。。。
↓  ↓

オートポイエースというのは、デザイン言語の一つであるが、これまで使っている経験から語るのはなかなかむつかしい。しかし様々な多くの人間の可能性を生み出す考え方である。

ここに黒いモノがあるとしよう。思考実験的に、そのモノのカタチからその色だけを取り出し,持ち上げてみる。つまりカタチと色を分離してみよう。(※これはインドで龍樹の説いた『空の思想』か!?)

そんなこと、現実にはできるはずがないって。そりゃあ、もちろんそうだ。しかし、ゆ~っくりと、思考のなかで、行えば・・ほらイメージできるでしょう。

さて、持ち上げた色はどんなカタチをしているか?するとそこには、色とカタチがお互いを決定できない分だけ、その間隙にさまざまな可能性がすぐにでてくる。ここに何かを生み出すための隙間、かなり広い隙間があいていることがわかるでしょ?!。そこまで出来れば、こういう処、こういう経験に、つぎつぎと入り込んでしまおう。

入力や出力によってのみ制約されるシステム経験から、内部も外部もない、まったくちがうシステムにパッと飛び込んでみる。その『ツボ』がわかったとたん、さまざまな新しい経験がうまれでてくる。

う~ん、これは。。例えば、境界が先に存在してシステムを区切っているのではなく、その運動が境界をつくり、その運動が停止した瞬間にその境界も消滅するようなイメージだ。

つまり、『存在の裂け目』から『行為の裂け目』へ

あとはそれにテクニカルにカタチを与え、表現を与えていく。

ここにはいりこむと、アイデアはいくらでも湧き出てくる。

このトレーニングを続けて、ここに目覚めよう!

微笑みだけを残して顔を消す。そんなトレーニングをやってみよう。

内と外を裏返す、世界を裏返す。そうすれば、ほら、世界が倍に広がるはずだ。(参考:河本英夫 SFC講義)

[PR]
by ogawakeiichi | 2014-09-05 16:23 | 情報とデザイン
<< 戦略読書日記 文字の美・文字の力 >>