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彩遊記

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禅ペインティング

水墨画をなんと英訳するのか?
うん、これは結構難問である。
チャイニーズペインティングって翻訳もあり
インクペインティングって、そのものの訳もある.
しかしだが、こんな訳では、どちらも含蓄する意味のレイヤーが少なすぎじゃあないのかなぁ。

ぼくが、訳すとしたら“ゼン・ペインティング”
室町時代、水墨を中国から日本へと伝えたのは臨済宗の禅僧たちである。
じゃあ、中国から伝わったんだったら、チャイニーズペインティングだろうが
と言われそうだが、ところがどっこい。

水墨は日本で新たな進化を遂げる。
それは「負の山水」、「余白の美」というものだ。
これは中国にはない。ましてや、西洋画にはまったく見られない。

負の山水、余白の美とは、余分なものを引き算して、いかにシンプルに存在するかなのである。

有る無しのギリギリまでを攻め込み対峙していくのである。
対峙の瀬を渡りきるとそこには、あらたな地平がみえてくる。
これは、いわゆる無という領域なのだが、
前期のウィトゲンシュタインに従って、語りえないとしておこう。
もったいぶっているのではない。
身体性の問題だからなぁ・・

そうなりゃ、禅とまったくおんなじでしょ。

座る禅を「静禅」とすれば水墨は「動禅」なのだ。

坐禅とは、心が動かなくなることである。
動禅とは、心が坐ることである。
心が動かなくなる、すなわち心が坐ることである。
よって、坐禅を極めることは、動禅を極めることと同じである。
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↑おおっ、今日退治(対峙)する相手はこいつらかぁ。。(KAPICより拝借)


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経験知
一 念とは、気を鋭くしていくもの(nen)
二 禅とは、念を広くしていくもの(zen)
三 念のない禅は、気が抜けていく
四 禅のない念は、気が立っていく
五 坐禅とは、静かに集中すること(zazen)
六 動禅とは、動いて集中すること(douzen)
七 坐禅では、内的な原因を認める
八 動禅では、外的な条件を認める
九 内に向う禅では、邪念が現れる
十 外に向う禅では、邪魔が現れる

 覚醒の書
念 … 気を広くするまで、気を鋭くすること(smrti)
禅 … 気を鋭くしてから、気を広くすること(dhyana)

 羯磨の書
坐禅 … 体が坐っていれば、心が動じなくなる(zazen)
動禅 … 体が動いていても、心は坐りつづける(douzen)

 解脱の書
只管打坐 … 体が坐るならば、心が動かなくなる
       体が動こうとも、心が坐りつづける
       坐禅を究めると、動禅を極められる

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↑退治中
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by ogawakeiichi | 2009-08-27 08:11 | アジア史&思想
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