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彩遊記

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余白ノ美

あす掲だけど・・まずいかな・・フライングかな・・まあいいかぁ・・。


先月末、大隅湖のカピックセンター(鹿児島県アジア・太平洋農村研修センター)にて、外国人の研修合宿が行われた。

彼らは二学期から一年間、県内の学校で英語を指導するALT(外国語指導助手)たちだ。アメリカ、カナダ、ジャマイカ、南アフリカなど多彩な国々からやってきた。

この合宿では日本語や日本文化を学ぶのだが、ぼくはその一コマ、水墨画を担当することになる。ところが、

水墨画をなんと英訳するのか?最初から意外な難問が待っていた。

調べてみると、「ランドスケープ」、「インクペインティング」など様々な訳がある。辞書の翻訳者にたてつくつもりは毛頭ないが、日本と中国の二つの国で水墨画を見てきたぼくにとっては、どの辞書にある訳も、どうもしっくりこないのだ。

ぼくは講座を受ける外国人に「ゼン・ペインティング」と翻訳することにした。ゼンは坐禅の禅。
水墨画は、中国で生まれた中国文化だ、英語訳も「チャイニーズペインティング」だとする意見もある。もちろんそうだ。

しかし、日本の水墨画は、いまから約五百年前の室町時代、水墨を大陸から日本へ伝えた禅のお坊さんたちにより、「日本水墨」として新たな進化をとげていく。

その進化の最たるものが「余白の美」である。

なにも描かない真っ白なスペースに、美しさを求める価値観は中国にもあるにはあるが、極めて少ない。ましてや西洋画にはまったく見られない。西洋絵画では何も描かれていない空間は未完成の部分でしかしかない。

つまり、日本の水墨画の特徴はこの「余白の美」にあるのだ。

能の世界では、役者の動きに「間」という余白があり、「能禅一如」という言葉も生まれた。
いけばなの「一輪挿し」、日本庭園では水を抜いた「枯山水」の技法などなど、「余白の美」の影響を受けた世界は多い。

この余白から生まれる緊張感や余韻の面影が、ときに見るもの、体感するものを「ハッ」とさせる。つまり「余白の美」とは、余分なものを削ぎ落としたシンプルな世界の美しさに気づく「禅」なのである。

ところでカピックセンターでのALT(外国語指導助手)への水墨画講座だが、その後どうなったといえば、時間の経過とともに「余白の美」とはかけ離れ、しだいに書き込まれ、西洋絵画へとなっていく。

う~ん、どうすればいいものか…。

一計を案じ、最後に完成用の紙をくばり、水墨画を書き始めるまえ、全員で短い瞑想をすることにした。呼吸を整え、画面にむかう心の状態を整えることにした。

簡単な瞑想を終え、あたまを空にして、筆を持つ手が自然と動き出す時を待ち、一気呵成に書かせてみると、これが功を奏したのか、「余白の美」に近づいてきた。瞑想と呼吸の力はあなどれない。

彼らが、日本の水墨画の「余白の美」を感じてくれたかどうかは疑わしいが、しかし少なくとも「余白の美」にいたる日本の方法だけは、好奇心満載、興味深く体感してくれたようである…?
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by ogawakeiichi | 2009-09-05 11:05 | 只記録
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