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彩遊記

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あるべき生活世界の形成

鹿児島の中心を流れる“甲突川”は、ぼくにとって観念を外部化するための装置場として機能している。川に沿って歩きながら、もやもやした觀念に嚆矢をむけて、概念化できる場所である。もちろんお供は、ペンとメモ帳。以前はボイスレコーダーの頃もあったのだが、紛失してしまった。(笑い

ところで、この流域には“美”を価値の俎上で巧みに文章や言論で、可視化および音声化してくれた先駆者がいる。

青山次郎に徹底して“美とはなんたるものか”を叩き込まれた白洲正子だ。※彼女の原籍から眼前の西田本通りを一直線に延ばせは、どかんと櫻島が鎮座する。

昨今の、眼前にあらわルル、直接対峙ではない間接的な横やり現象に、ふと白洲正子の一説が掠め通った。

白洲正子は『日本のたくらみ』の一節から・・。
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この頃は真贋についての論議がはやっていて、時には、本物と贋物の写真を、御丁寧に並べて見せたりする。が、骨董という煩悩の世界は、そんな単純な考えでわり切れるものではない。自ら手を汚したことのない門外漢が、単なるのぞき趣味を満足させているにすぎない。
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この話は、骨董ではなくデザインでも、まったくおなじである。デザインを上流から論じたいのなら「自ら手を汚したことのない門外漢」になって単なるのぞき趣味ではいかがなものか。つまり、上流から論じるモノは、自らの手を汚すことで世の中的な常識の枠組に頼らない真贋を自分の直観で感じとる力の人であってほしいわけ。

詰まるところ、デザインは煩悩の世界だ。煩悩を知らず、『あるべき生活世界の形成』などはできっこないのだ。

参考:『あるべき生活世界の形成』
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私は、デザインは「あるべき生活世界の形成である」という問題提起をたえず繰り返してきました。(中略)デザインという行為は、基本的に、人間の生命や、生存の基盤と安全、日々の生活やくらし方、生き方や生きる方法、生きていくうえでの人々の関係やコミュニケーションや社会形成などにおよぶ、人の誕生から死までの生のプロセス全体と、生命の源泉としての自然環境や、生命あるものとの共生関係を包容する「あるべき生活世界の形成である」に広く深くかかわるものだといえます。
向井周太郎「デザインの意味の転換と形成」『生とデザイン―かたちの詩学1』
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by ogawakeiichi | 2009-09-21 10:41 | 情報とデザイン
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