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彩遊記

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荒ぶる月夜の記憶

◇荒ぶる月夜の記憶 【境界・HEREとTHERE・禹歩のステップ・橋姫】

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この川内川にかかる泰平橋を境に、中秋の名月を仰ぎ見る十五夜の夜365メートルに渡る大綱を約3000人の荒らぶれで引き合う伝統行事がある。島津義弘が秀吉の命で朝鮮征伐へ出陣の際、薩摩武士の意気高揚をもって始まったとされている。

それは綱引きというより肉弾戦であり覚悟の行事だ。橋を境に、薩摩藩島津氏の居城、鶴丸城に近いほうを上方、遠い方を下方とよぶ。互いの陣営には綱を引っ張る「引き隊」に加え、「押し隊」と呼ばれる相手方の引き手を蹴散らす部隊がいる。綱を分ける中央ではお互いの「押し隊」が相手方を蹴散らそうと、スクラムを組み神輿をかつぐときのステップに似たタオイズムの「禹歩」に近いステップで相手方をグイグイ押して攻め込むのだが、相手方の「押し隊」も当然黙っておらず、中央で押し合いぶつかりあうことになる。

 両境を示す場所には「壇木」とよばれる地面か1メートルほど突き出た神木が突き出、大綱の両端には「ワサ」と呼ばれる輪が結んである。相手方に綱をもっていかれそうになったとき、勇者で固める最後尾の「ワサ」をこの神木である「壇木」に引っ掛け、大綱を中央より相手側へもっていかれないようにする。決戦前の「壇木祭り」の神事を終えると「ここ」と「むこう」の共同体を区切る「村立て」の中心に仕立てられた「壇木」を境に、1番太鼓が打ち鳴らす激しい音で、いよいよ豊作の祈りを賭けて戦いの火蓋がきられる。

 もともと境を区切る“橋”にはいろいろな情報が吹きだまるとみられていた。そこには宇治の橋姫伝説に有名な愛憎の激しい女神がおり、一条戻り橋の鬼女のような妖怪のたぐいもいた。橋はこの世とあの世の境目で、あっち側とこっち側の共同体の境目でもある。川内川に掛かる泰平橋を境にした十五夜は、市内の高校生も「あっち」と「こっち」に分かれて熱い戦いの仲秋の青春の夜を過ごしたものだった。 

なぜ綱引きが“月”とこんな縁を結んだかといえば、潮の満ちひきに関係があるらしい。次に、不死を願い、豊穣を祈ることに関連し、水神信仰や龍神信仰ともつながっていただろうという。なお薩摩川内市の沖に浮かぶ甑島では、おなじく中秋の頃、「かずらたて」とよばれる行事がある。五穀豊穣を祈り、山から採ってきたカンネンカズラ(くずかずら)をつなぎ合わせて綱をつくり、それを大蛇にみたて地域内を跋扈のリズムで練り歩く。ぼくは中国と縁を結び約10年が過ぎようとしているが、幼い頃から見てきた川内の大綱引き、甑島のかずらたてには、柳田国男の言う“海上の道”、島尾敏男の言う“ヤポネシア”を伝って吹き込む“龍神信仰”と“タオイズム”に通じる大陸からの風を感じてしまうのだ。
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by ogawakeiichi | 2009-10-08 06:20 | 鹿児島情報史
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