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彩遊記

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腑に落ちる神の記憶

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◆腑に落ちる神の記憶

◇日本の神話 【カオス・概念と観念・流された王伝説・HereとThere・和魂と荒魂】

川内川にかかる泰平橋の両側には奉納名を刻んだ灯篭が等間隔に立ち並び、ほぼ市のセンターに位置する日本神話における一人である《日向パンテオン》ホノニニギを奉る杜へと続く。

混沌とした世の天地開闢からはじまる世界版・盤古伝説が、どこの始祖神話にもあるように、日本神話では混沌状態のカオスから、「アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)」、「タカムスビノカミ(高御産巣日神)」、「カミムスビノカミ(神産巣日神)」の「造化三神」が誕生する。

次に「神代七代」が登場し、初期の頃、カタチとしては観念的だった神々が、七代の過程を経て男女一対へと次第に概念的に分化をしていく。開闢から七代目には日本版アダムとイブである観念的象徴と言うべきイザナギ・イザナミの一対の男女の神が生まれ、観念的日本の国土を生みだしていくことになる。

イザナギ・イザナミの間に生まれた初めての子は奇形の“ヒルコ”であった。“ヒルコ”は「流された王伝説」となり空白の時を経て「負」から「正」へと転じて、最後は庶民に奉られた商売神「えびす」へと変化していく。「えびす」は漢字で「夷」と書き、華圏では辺境・化外のモノをさす夷狄でもある。
 
「流された王伝説」の「流す」とはある存在を「流し雛」のごとく「流す」ことで、境界を超え、脱皮、転生させていく。すなわち“ヒルコ”は脱皮、転生しながら精霊や威力を分与され、きらびやかな「負の花魁」としての庶民に愛される「エビスさま」となる。世界神話にはこのような「流される」物語が多く存在し、それらは「貴種流離譚」と呼ばれている。
 
その後、イザナギは、先に死んだイザナミを追って黄泉の国へ行くのだが、あまりにも変わり果てたイザナミの姿に、一目散にこの世へと逃げ戻った。これを「よみがえり」という。イザナギはすぐさまに身体を水で清めて“禊”をし“穢れ”清めたとされる。以来、「禊」は「ThereからHere」への“結界越え”を祓う行為として、日本人にとっては切実なコトとなる

追いかけてくるイザナミから逃げ、よみがえりの途でイザナギの左目から“アマテラス”が右目から“ツクヨミ”、鼻からは“スサノオ”が生まれる。その後、アマテラス《和》とスサノオ《荒》は、なにかと比較される一対の存在になっていく。スサノオは生れつきの暴れん坊で、しかもかなりの泣き虫であった。最初はアマテラスもスサノオをかばうのだが、ついに堪忍袋の緒が切れ、スサノオの荒ぶれから逃れるように「天の岩戸」に引きこもる。
 
柔らかな精神と行為をもつアマテラスのスピリットは「和魂」、荒ぶる神“スサノオ” は「荒魂」と呼ばれるようになり、「アマテラスとスサノオ」:「和魂と荒魂」の対比は今では歌舞伎の「和事と荒事」としても表現され、極めて日本的な方法のミームとして残っていくのだ。
by ogawakeiichi | 2009-10-08 15:55 | 鹿児島情報史
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