ブログトップ

彩遊記

ogawakeiic.exblog.jp

山水画をリテラシー

◇山水画をリテラシー 【山水思想・景気・余白】
 山水画とは「ここ」にいながら「かなた」の山々を眺めるための絵画様式。ヨーロッパの遠近法とは違い「三遠」という方法をつかう。三遠とは平遠・高遠・深遠の三つで、つまり近くの山から遠い山を目の高さでみるものと、山の下から山頂を仰ごうとするもの、山の向こう側まで望んで見ようとする三つの遠近法を一枚の絵の中で展開していく。

 このような山水画が人々を風光明媚な場所にいざない、そのうち人々はその場所に「景気」を感じていく。その景気が盛られた場所が「景色」であり、その景色のよい場所がいわゆる「名所」になっていく。

ここに景色の誕生がある。 祖父の描いていた山水溌墨は、墨を注いで一気呵成に描く方法。「溌」とは「そそぐ」という意味で、手の勢いを筆管に伝え、穂先の墨の勢いは宣紙に墨の滲みを任せて偶然を必然に変えていく。 

桂林に住むぼくの水墨画の師匠である“帥立功”は「工筆」とよばれる面相筆を使う繊細な画法も、「写意」と呼ばれる羊筆を使った大胆な画法も両方こなす。なかでも「写意」を描く溌墨は、墨が予期せぬ余白で踊るにしても、臆することなくその偶然を新しいカタチへと変えていく。たとえば、勢いでポタッと落ちた墨滴は、ある場面ではその偶然を岩に変化させ、ある場面では木々の一部に変化させ余白にポタッと落ちた偶然をたのしむように描いていく。

 破墨には二種類がある。二種に方法としての大差は無いが、墨と水量のコラボレーションに違いが現れる。ひとつは、元朝・黄公望がいう「淡墨で淡墨を破る」という方法。詳しく言えば、たっぷりと水を含んだ墨が浮く宣紙上に再び薄墨を加え、あたかも水面に流す墨流しの如く墨を散らし、水分が乾くにしたがいはじめの薄墨と次の薄墨が画面の上で徐々に馴染み、紙背に滲み広がる二つの薄墨の時間差が微妙な味を創発していく。もう一つは「濃墨によって淡墨を破る」という方法。薄墨に濃墨が介入していくのだが、これも方法的には同じだが、墨量に細心の注意を払う。 

六朝期の謝赫は水墨を「気韻生動」「骨法用筆」「応物象形」「経営位置」「伝模移写」の六つの方法で指し示した。「気韻生動」とは気が横溢すること、「骨法用筆」は適確な筆線で対象画を画することを、「応物象形」は物に応じて形似を心すること、「経営位置」は布局と布置をもって画面を構成することを、「伝模移写」はこれらの技法の修養のために古画を模写すべきことを言う。

 ◇桂林山水甲天下 【社稷・ミーム】
 古代中国社会は社稷共同体を前提として発達してきた。日本で言うムラ(村・邑)である。その共同体が後漢のころに崩壊し、三国時代から荒廃しはじめた。現在でもそのミームを“宗族”に見ることができる。華人にとって旧正月・春節には一族で「年夜飯」とよぶ食事をすることが尊ばれる。春節を一族で過ごすために、「春運」とよばれる民族大移動をものともせず旧正月を“宗家”で過ごそうとする覚悟と熱意はすさまじい

。ぼくの水墨画の老師である帥老師の一族は数年前、父親の名を冠した「帥礎堅芸術館」をつくった。春節や国慶節は一族ここにあつまりマージャンや食事に興じる。これもまた“宗族ミーム”が立ち上げた現代の社稷共同体なのかもしれない。三国時代になると民衆は精神的支柱であるべき共同体を失って、様々な迷信や祈祷に頼ることになる。隙間を埋めるべく上からは仏教が、下からは道教がしみこんでいく。 

官僚社会と同調しない道教のタオイストたちや隠遁する逸民は、老荘思想を好み、山野を山水に変え、そこにまったく新しい「景色」を見つけ出していく。次にはそれを詩画として表現していく。こうやって山水画の世界が確立していく。 中国の北と南はまったく別の国に近い。交通手段をとっても「南船北馬」と言うように、北は馬を使い、水の豊かな南では川や湖やそれらをつなぐ運河を発達させ舟による交通をおもな手段とした。この風土気象の違いこそが、のちの「華北山水画」と「江南山水画」の差異となってあらわれてくる。 

華南桂林は山水画家が数多く暮らす街である。地質学的に隆起カルストによる奇峰群もさることながら地形的にも湖南省の南に横たわる嶺南山脈の分水嶺が北の長江水系と南の珠江水系に分ける場所にほぼ近い。分水嶺の南側は霧のかかる風景の日が多い。すなわち華南の桂林に水気の多い山水景色が立ちあがるわけはここにあるのだ。
[PR]
by ogawakeiichi | 2009-10-15 08:01 | 只記録
<< 社会や組織における相転移 タオイズムの丘 >>