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「金策」(キムチェック)メッセージの意味するもの
月刊日本2002年11月号より

北朝鮮側からの事前対日メッセージ

 五月中旬、北朝鮮当局は、韓国中興の祖ともいえる故朴正煕の長女・朴橦恵女史の平壌訪問を受け入れた。金正日は、朴女史を恋人のように優遇して彼女の父親である故朴正煕を褒め称え、韓国を訪問することができたら、真っ先に朴大統領の墓参りをしたいと語った。朴女史は北側から最大限の歓待を受けただけでなく、板門店経由で帰国した。

 金大中は米国から忌避されただけでなく、政権の権威が喪失して身動きがとれなくなっており、この金大中政権の前途を見限った北朝鮮は、朴女史を受け入れることで、彼女を南北の架橋として、新たな希望の星とする演出に徹したといえる。
 
金正日はこの時、朴女史に母親が犠牲になった文世光事件について、北特殊機関の関与を認めて謝罪したが、彼女はその事実を日朝首脳会談が実現するまで公表することなく一人心に秘めて、「日朝平壌共同宣言」の発表を受けて公表した。北側の朴女史優遇にはある種の対日メッセージが込められており、朴女史もその真意を理解して日朝接近気運が盛り上がることを期待していたものと思われる。

 故朴大統領は、反日意識にだけ依拠した民族正統性を建国の基盤にしてきた韓国社会にあって、売国奴の誹りを覚悟して日韓関係の正常化を決断し、その後の韓国経済繁栄の礎を築いた。金正日は故朴大統領を最大限に称賛することで、支援金調達の必要性から対日関係の早急な改善を示唆するため、朴女史を招待したのであろう。
 
北朝鮮は、訪朝した金丸信元自民党副総裁や壷則首相から数兆円の約束手形を捲き上げている。だが、現金化できない苛立ちに耐えきれず、強圧的な方針を変更するシグナルとして、日韓修復を決断した朴大統領を評価する姿勢を明らかにすることで、日本側の対北認識の変化を朔待したものである。
 
韓国で発禁本扱いを受けている『親日派のための弁明』(金完隻著・草思社刊)の邦訳本が、我が国では三十万部も売れている。韓国世論の対日侮蔑ともいえる跳ね上がりに対する、嫌韓感情を癒やす効果があってのことである。

 同著書の日本語版序文の論旨は、平成九年に日本を訪問した後に北京経由で韓国に亡命した、北朝鮮の黄ジャンヨプ書記が述べた言葉と全く同じ本旨である。

 黄書記が亡命を決意して、事前に韓国に伝えたとされる「朝鮮問題手記」全文を読めば、彼は分断された民族の統一を切に願う憂国の情の持ち主であることがよく分かる。黄は亡命後、韓国全土に蔓延する反日感情に驚き、この現象をもたらした遠因は米国の南北分断、日韓・日朝離反戦略にあるとして、「韓国社会の異常な反日感情は南北統一の妨げになる」と、警告を発していた。
 
そのため、韓国当局は同書記を北側の高度な工作員と危険視し、一種の軟禁状態において、黄が希望している米国亡命も許可していない。『親日派のための弁明』を熟読してみれば、経済繁栄のみの対北優位性に依拠している韓国の存在そのものを、全否定しているといっても過言ではない。そして、民族正統性の観点からだけでとらえれば、貧しくとも北朝鮮に正統性があるとの結論を導いているといえる。
 
著者の金氏は出国を認められて来日し、日朝会談を横目に見ながら我が国で精力的に講演活動などを行なっている。同氏が自覚的かどうかを別にして、大局的な見地から見れば、南北統一が焦眉の課題となるにつれ、北側の正統性を補完する役割を果たしていると見なすことができる。同書には、半島統一は北優位が自然であり、日本の国益にもつながるという、北朝鮮からの独尊的な対日メッセージが込められているともいえる。



金策に対する一考察

 小泉訪朝が発表された八月三十日の直後から、能登半島沖合に北朝鮮の特殊船団が現われ、防衛庁や海保の追尾を誘って、巡視船が監視する目前でその存在を誇示するように朝鮮半島方面に引き返す珍事件が発生した。
 
我が国のメディアは「不審船出現」と報道しているが、同船団は従来のように日本やシナの漁船を偽装することなく、煙突部分に北朝鮮国旗を描き、船尾にはハングル文字で船名をハッキリと書いて、日本側に写真撮影をさせた上で引き揚げた。「不審船」ではなく、北当局が我が国にある種のメッセージを発するため送り込んだ伝令船と見なすべきである。
 
メッセージのカギは、船名「金策」にある。防衛庁は、「金策」を北朝鮮の地名と発表した。それも事実(日本統治時代の城津を金策に改称)だが、我が国と縁が深いある人物の名である。彼の名を冠にした「金策工科大学」が存在していることは、金策が北朝鮮にとって多大な功績を残した人物であることを物語っている。
 
金日成は、日本軍が撤退した後、コミンテルンが捏造した抗日パルチザン英雄伝説にのって平壌に凱旋した。コミンテルンの策謀が発覚する前に朝鮮戦争が引き起こされて、国民は同胞が血で贖う悲惨な内戦にかり出され、金日成の出自を問題にする懸念は封じられた。金日成はソ連軍が参戦していない戦争を利用して、傀儡の弱点を払拭するため、粛清に継ぐ粛清で、ソ連・コミンテルン派を壊滅させて独裁権力の掌握に成功した。
 
金日成にソ連派粛清を助言したのが金策で、さらに「主体思想」を提言して黄ジャンヨプなどが中心になって理論構築を行ない、金王朝の礎を築いた。この渦中で金策の出自(日本軍情報関係者)あるいは真の経歴(対日情報協力者)が露見したため、彼も粛清の対象になったとも喧伝されている。だが、表舞台から退いて、「主体思想」の構築を指導したとも、秘かに伝聞されている。
 
北朝鮮関連の人名録には、金策について以下のように記述されている。


金策(キム・チェック)。
一九〇三年生、モスクワ共産党大学卒、ソ連内務省GPUに入り、満州の金日成などの活動を支援した。ソ連軍中佐、金日成の腹心の一人で、人民軍の建設に中心的な役割を果たした。朝鮮戦争では前線司令官となったが五一年爆死、その功により、出生地を金策市と改め、その地の鉄工所を金策製鉄所、大学を金策工科大学と命名した。


 また、『金日成回顧録』の中に、金正日が父親の金庫を空けてみると金日成と金策と二人だけで映っている写真が出てきたと記述されている部分があり、金策の特殊な立場が問接的に示唆されている。金正日が二代目王朝継承者としての地位を盤石にした後で公表された党幹部の序列に、「金策」の名が浮上しているが、彼の人物と同一人かどうかは不明である。

 金策は黒龍会の一員とも言われている。黒龍会指導者の内田良平は対露工作に全力を注ぐために朝鮮半島情勢の安定を願い。日韓合邦運動を推進した民間人である。
 
内田良平は、朝鮮半島悲哀の歴史は国民の団結心の欠如にあり、その主たる原因は偏狭な正統性への因習に起因して、その弊害の克服が朝鮮自立の第一歩だとの信念を持って、朝鮮工作に遭進した。内田良平翁は、朝鮮社会の構造的因習は本貫一族へのこだわりにあると喝破し、「壇君神話」に基づいた疑似天皇制国家に全ての本貫を止揚する構想を打ち出し、半島人士との連帯を深めた。内田良平の熱意に賛同した多くの半島人士は、日露戦争に献身的に協力して、日韓合邦を積極的に進めてきた。この間の経緯は、『親日派
のための弁明』の中でも、詳細に紹介されている。日韓合邦を願った内田良平や朝鮮人士の願いは、明治政府の併合政策によって裏切られた形になったが、その精神は継続されていた。内田良平と明石元二郎は同郷の縁で懇意な関係にあり、金策は両者に縁がある人物と見なしたほうが無難である。
 
明石元二郎は欧州に赴いて、レーニンなどの共産主義革命を支援することでロシア攪乱工作を行ない、我が国の日露戦争勝利に多大な貢献を行なった旧日本軍参謀本部の高級情報将校である。対露工作の必要上、黒龍会運動に賛同する日鮮の会員多数を動員して各地に潜入させたが、その記録は一切残っていない。
 
明石は日露戦争後、朝鮮総督府に勤務して、抗露パルチザン対策などに従事、最後は台湾総督として民政に寄与し、死後は台湾に墓所を希望するなど、現地の興隆対策に生涯を託した明治人である。
 
金日成は北朝鮮社会の全て宗家は金日成個人から発するとして、彼を国父と崇めさせることで本貫を一元集約化した王朝体制を築いた。その正統性を白頭山を神聖視した「壇君神話」で補完し、一時は金日成民族
とも呼称した。内田良平の構想が紛いなりにも成就した結果だともいえ、金策が北朝鮮建国の貢献者と評価されているのもこのような因縁あってのことであろう。

 ちなみに、金策は息子に「国泰」という名前を付けている。「国家安泰」を願った名で、朝鮮風ではなく日本人の思い入れそのものである。金国泰は労働党書記として金正日の秘書的な側近の地位にあって、現在でも米国やロシアとの交渉の重責を担っている。
 
金日成が死去した時、三十八度線の北側から明石大佐が日露戦争後にまとめた報告書「落花流水」にちなんだ一節が放送された。金王朝の創業を支えてきた北の長老達が金日成を送るに際して、金策に縁ある著名な日本人軍人の書に託して彼の業績を記録に留め、併せて「興亜積極論」に国運を賭した
旧日本軍への義理を果たしたものと思われる。

 また『日本書紀』で白村江の戦の項に、「天智元年(六六二)の五月に安曇野比羅夫らが軍船百七十隻ひきいて百済に乗り込み、勅語を賜わって正式に余豊を百済王とし、別に金文字でかいた勅語(金策)を福信に賜わって……」と、「金策」の意味は「金文字で書かれた勅語」だと記述されている。「金策」という名称は単なる個人名ではなく、日朝の歴史に因んだ、ある想いが込められていることを暗示しているといえる。
 
我が国の先人・先達は、西洋近代文明の侵略的開国強圧を跳ね返すための脱皮革命ともいえる明治維新を成し遂げ、不平等条約の撤廃を悲願として、近代日本の活路を「脱亜入欧」に求めた。

 だがその一方で、西洋覇権のアジア浸透に対抗するため、「興亜積極論」政策も多いに進めた。日韓併合は、アジア興隆に賛同する半島人士の協力あってこそ実現したもので、決して西洋植民地主義的な侵略支配ではなかった。
 
戦前の日本有志の助言で疑似天皇制国家を創設した北朝鮮の国体は、今や風前の灯火だともいえる。金王朝を苦心して支えてきたであろう長老達が「金策」のメッセージに託して、我が国に苦痛の叫びを投げかけてきた、その心情背景を正鵠に受け止めることができる日本人は果たして存在しているであろうか?
 
北側には、拉致事件は敗戦後の疲弊期はともかく経済力を回復してもなお「イエローヤンキー」を恥じない「半国家」日本と、常に準戦時体制を強要された北朝鮮との軋櫟の中で生じた出来事だと居直る捻れた心情が潜在している。
 
北朝鮮にとって日本は育ての母とも言うべき存在だった。しかし、その北朝鮮は戦後日本が仇敵である米国の妾になり下がったことを憎悪している。現在の日本がなすべきことは、日本が北朝鮮の養母であったことを弁えて、実子同然に育てた義理の息子の非道を糺し、真っ当な道を歩ませることでは
なかろうか。
 
マレーシアのマハティール首相が、日朝首脳会談の実現を大歓迎しているのは、我が国が「アジアの日本」を覚醒し、再び「興亜積極論」に乗り出すであろう期待感を表明しているからである。
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by ogawakeiichi | 2009-08-02 05:26 | 歴史アブダクション
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