先日も書いたが、仏教の、般若心経では、色即是空・空即是色。照見五蘊皆空。・・と説く。
つまりブランドもそうだが、そんなもん人間の想念がつくったもので実体なんてないんだと説く。
そうはいっても、現世には欲求がある。そこで、この欲求ベクトルの向かい方が、ブランドにとって重要な意味をもってくる。
ブランドの語源をしらべてみると、「焼印をつける」ことを意味する。家畜を出荷するとき、生産者を示すシンボルだった。
懇切丁寧に育て上げた家畜を出荷している生産者であれば、その焼印を見るだけで、買い手の間では自然と、良質の肉が取れることを意味した。
家畜を大切に育てるには、並大抵の苦労があったはずだ。本来ブランドの背中には、血と汗と涙や、代々受け継がれてきたノウハウ、信念やプライドが見え隠れした。
企業でいえば受け継がれてきた社風や「企業理念」であろう。
企業理念にとって重要なことは次の3点だと思う。●組織が社会において「何のために存在するのか」。●組織の行動についての行動規範を表し、それが社会の発展に平和的に貢献するものであること。●環境が変化しても普遍的で見失うことのない価値観を提示していること。
美辞麗句ではあるが、決して軟派な定義ではない。強い定義である。個人的には、上記の3点はできれば表沙汰にするのではなく、伏せた行動指針にすれば、なおカッコイイ。
万が一の危機や重要な判断が必要となったときには、この企業理念こそが最後の拠りどころとなる。こうした理念に沿って構築した企業は強い組織の形態で、その継続が企業ブランドになっていく。
どうもいま、ブランドとは、「競合他社と識別・差別化を目的としたデザイン」という意味で、当たり前のように使われている。
何か新しい事業を起こしたければ、ブランディングをすることが大前提となり、そのためのブランドをつくる仕掛けのシナリオづくりに特化したコンサルタントが溢れ、その下に沢山のデザイナーが群がる。
多くの文脈においてデザインは、商品に売れる要素の『味付け』程度のものとしてしか理解されていない。デザインが比較的、底辺に位置づけられているのは、そんな理由からだろう。「※なかには、底辺がイイというデザイナーもいるにはいるが・・そりゃあ、昔の版下屋さんだ。」
企業理念を大衆へ適切に伝えるためのブランディングならいいのだが、新自由主義の上陸以来「競合他社と識別・差別化を目的とした仕掛け」に付け焼刃のデザインをブランディングということが横行していた。対峙か退治か?。