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彩遊記

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価値あり

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かつて日本とアジア大陸、ユーラシア大陸との間の距離は今よりも近しいものであ
た。

それは日清・日露戦争、シベリア出兵という形を取って庶民の生活に否応なく入り込んできたり、白系ロシア人の亡命や中国の革命運動との関わりや朝鮮半島の併合といった、直接・間接取り混ぜた良くも悪くも”リアル”な関係であった。

対米事大主義に陥った戦後外交政策と、一種の暗黒大陸であったソ連や共産中国、緩衝地帯としての朝鮮半島という存在を対外認識の初期値として与えられ育ってきた戦後生まれの世代にとっては、”大陸”は文字通りの彼岸であったが、冷戦体制の崩壊後徐々にリアルな存在へと変貌を遂げている。

とはいえそれでもまだ昔に比べて大陸が身近かどうかは疑わしい。「陰謀と幻想の大アジア」で海野氏が指摘しているように、20世紀の前半は今よりももっと大陸と日本の関係は深かったのではないか。

いずれここでも取り上げたいと思っているが、シベリアタタール出身のイスラム教指導者が、モスクワでのロシア革命期の政争に敗れた後、日本の有力政治家や右翼の大家を焚き付けて汎イスラム運動に日本を巻き込もうとしたり、ロシアから亡命してきた在日ムスリムコミュニティの中でバシキール出身者とタタール出身者とが対立の火花を散らした時代がかつてこの日本にあったのだ。

「陰謀と幻想の大アジア」は「当時の日本が大陸をどう読み下したか」を軸としているために表立った主題は日本から大陸にベクトルが向いているが、現代と往時との最大の相違点を見出すならば、大陸から日本へのベクトルの向きこそが焦点を当てられるべきであろう。

日露戦争で始まった20世紀、その前半において、大陸側から日本への働きかけは今よりもずっと大きかった。けっして日本からの一方的な働きかけだけがあったわけではない。

当時ムスリム社会において発行された「日本の天皇は実はムスリムである」とする「ミカド・ナーメ」の存在、アルタイの山中で起きたブルハン信仰を基にした民族運動であるブルハニズムにおける日本の天皇への言及など、およそ日本の政策とは関係のないところにまで「幻想の大日本」の波紋は広がっている。それだけ日露戦争のインパクトは大きかったということなのだろう。

そうした日本が予期しなかったプレゼンスの増大が「陰謀と幻想の大アジア」の基層としてまず存在していた、ということを理解した上で、初めて本書で取り上げられている事象の本当の意味が見えてくるといえよう。日本近現代史の枠内で語られる本書と対になる、世界史の枠で語られた「陰謀と幻想の大日本」が求められるところである。

上海条約機構が中央アジアをその領域内に取り込もうとしている今日において、20世紀前半のユーラシア大陸における日本のプレゼンスのあり方がどのようなものであったのかを再確認することは意味のあるものであろう。ツラン民族圏

龍吟社

昭和17年1月1日発行


さて、「陰謀と幻想の大アジア」で取り上げられているエピソードは多岐に渡る。対ユダヤ政策やフリーメーソン陰謀史観、太古の昔、日本は世界を統治していたとする「竹内文書」をはじめとする古史古伝、大本教、イスラム政策、騎馬民族日本征服説、そして大陸に設置された諸機関を苗床にして構築された戦後日本の学界等々ネタ的には満漢全席の言葉が相応しい。

いずれのネタもそれだけで本ができるどころかジャンルを構成してしまう程の大ネタであり、これらを横串で眺めることのできる本書はこの手の話になじみのなかった人にはもってこいといえる。自分的にはどれもこれも子供の頃から今に至るどこかの時期ではまったネタばかりなので懐かしささえ覚えながら読み進んだ。

その中にあってここ貂主の国的に取り上げなくてはならないのが「ツラニズム」である。

ツランとは、往時のペルシャで自分達の住まう「イーラーン」の地に対置して、草原のトルコ諸族の世界を「トゥーラーン」と呼んだことにちなむもので、トルコ諸族に加えてモンゴル系諸族やウラル系の諸民族をも加えた民族集団を指す言葉である。ウラル=アルタイ語族と言い換えた方がなじみがあるかもしれない。

様々な民族主義運動・反植民地運動が起きた20世紀前半において、「ウラル=アルタイ語族」という共同体を共通認識として起きた運動が「ツラニズム」であり、主にハンガリーやフィンランド等で展開された。汎トルコ運動や汎モンゴル(チベット)運動、汎イスラム運動といったより大きな諸運動が抗争を繰り広げる中にあって少々影が薄いようにも思えるが、その構想の対象となる領域の巨大さは群を抜いている。

フィン=ウゴル系の諸民族の話を追いかけていくと必ず出てくる今岡十一郎氏、その著作の一つ「ツラン民族圏」を紐解くと、ツラニズムがどのようなものであったかを知ることができる。

下図は、同書序文に掲載されているツラン民族の分布域である。ツングース諸族、フィン=ウゴル諸族やサモイェード諸族、さらにはトルコ系のサハ(ヤクート)民族が含まれているために、一部を除いて北ユーラシアが塗りつぶされている。白抜きされているのもロシア人等スラブ諸族の分布域なので、その進出前であれば本サイトでいうところの北ユーラシアと中央ユーラシアを合わせたものとほぼ重なってしまう。

注目すべきは日本がツラン民族として塗りつぶされていることと、朝鮮から中央ユーラシアに向けて延びる矢印である。この矢印を拡大したものが下図となる。

朝鮮→満州→蒙古連盟政府と続いた日本の進出はツラニズム的に次は東トルキスタンに向かうべきだと主張しているのである。日本軍部の動きもある時期まではこれをなぞる様に対イスラム政策に力を入れていた。「if」は歴史の定番だが、日本の主力が南方ではなく西方に向かっていれば当時半独立状態だった東トルキスタンとの結びつきも生じていたかも知れない。

そしてこの図が日本がツラン民族であるというカラクリになっている。即ち、ウラル=アルタイ語族を構成するツングース諸語に日本語が属しているというものである。「日本ツングース人」という言葉には衝撃を覚えるが、「日本はウラル=アルタイ語族に属していて云々」という言説自体は今でも生き残っている位だから驚くことはないのかも知れない。

それよりも、当時日本軍が進出していた華北地域まで「華北ツングース人」としてツラン民族圏に組み入れられているのは時勢とは言え驚きを通り越してあきれてしまう。

この本はこうした牽強付会的な部分やツラニズムに関する主張を除いた部分、即ち北ユーラシアや中央ユーラシアの諸族に関する記述については現在でも参考にできるので、残念ではある。

北ユーラシアと日本とを結びつけるエピソードとして、戦時下でこのような本を生み出した動きがあったということを記憶にとどめておいていただければ幸いである。


【追記】

話を戻して、「陰謀と幻想の大アジア」ではこうした様々な活動の舞台となったのが満蒙地帯であり、この地で軍部の支援の下に研究が進られ、その延長線上に戦後日本の学界の枠組みが乗っていることが繰り返し示されている。

それはあるいは軍部をも利用したものなのかも知れず、私には評価を下すことができないが、このサイトに関連するところで思い当たるものを挙げてみた。

オロン・スム遺跡調査日記
江上波夫
山川出版社

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大興安嶺探検
今西錦司
朝日新聞社

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前者は1939年、後者は1942年にそれぞれ挙行された調査の記録である。また、同書では日本語の起源をタミル語に求める学説に関して「丸善で買ったドラヴィダ辞典を読んで見つけたのである」としているが、そのさらに元になっているのかもしれないものを見つけた。


ツラン民族圏に掲載されていた図だが、ツラン民族の定義をさらに拡張したものとなっている。追加されているのは「南ツラン民族」である。即ち、チベット・ブータン語族、タイ語族、マレー語族、そしてタミル語族によって構成される語族である(現在、そんなものはもちろん耳にしない)。

もしも大野の着想のきっかけがこの「マックス・ミューラー」なる学者の説にあるのだとしたら、その「日本語タミル起源説」もまたツラニズムの幻想を引きずっているものなのかも知れない。
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by ogawakeiichi | 2008-12-18 10:50 | 只記録
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