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彩遊記

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遊蕩編・九州千夜千冊:肆




          【遊蕩編・九州千夜千冊:肆】


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1176夜 安田登 『ワキから見る能世界』
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◆千夜千冊基本情報
1176夜 安田登 『ワキから見る能世界』2006 NHK出版(生活人新書)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1176.html


◇書籍情報
『諸国一見の僧がみた日本。わきでなければ見えない歴史の魂。真赤者の糸を繰り返し、昔をいまになさばや。古りにしことを聞くからに今日も程なく呉織り、あやしや御身誰やらむ。能にひそんだ日本の方法この話をしたくなったのは、鎌倉八幡宮の夜があったからだ。』:松岡正剛

生者はとどまらない。とどまるのは死者だけ。「能」の物語は、生きている「ワキ」と、幽霊あるいは精霊である「シテ」の出会いから始まる。旅を続けるワキが迷い込んだ異界で語られるのは、執心か、追慕か、残恨か…芭蕉の旅、漱石、三島に大きな影響を与えた日本文学の原点を、ワキの視点から捉え直す。脇役ではない、「ワキ」から見た能は深くてこんなにも面白い。(アマゾンより)


◇九州深度:★☆☆☆
◆キーワード
八幡宮
神楽
西郷隆盛
「はらい」と「こもり」


◇千夜千冊・抜粋九州
日本にはもともと「はらい」系の贖罪の方法と「こもり」系の贖罪の方法とがあった。「はらい」系では島流しや所払いなどがおこなわれ、ふつうの罪人だけでなく、天皇や貴人だって流された。実は世阿弥も佐渡に流された。一方、「こもり」系は自分で籠もって姿を隠すか、牢獄に籠もらさ
れた。吉田松陰は籠もらされ(553夜)、西郷隆盛は払われた(1167夜)


◇メモ
最近はもっぱら籠もるばかりの贖罪感になってきたのではないか。「引きこもり」もそのひとつ。やたらに検察や警察が罪人を拘置するのも、強制的な「こもり」ばかりが支配的になっているせいだろう。しかし、今日の日本は、あらためて「はらい」の意味をこそ考えるべきなのではないか。そこに流浪の者が何かを引き受けるという文化があったことを知るべきなのではないか。(千夜千冊より

ワキには「分ける」と「分からせる」という二つの特別の役割がある。「分ける」というのは分節能力があるということで、世阿弥が名著『能作書』のなかで詳しくのべているように、絶妙の謡曲作法によって言葉をアーティキュレート(分節)しながら、ワキがシテの世界を分明していくようになっている。(千夜千冊より


◇所感
先月末、高千穂の天岩戸神社から帰り、セイゴオちゃんねるを覗けば「夕学講」で、松岡氏が高千穂神楽に言及されておりました。高千穂神楽も天岩戸の裂け目もちゃんとこじ開けてみなさいとのご神託か?!。。





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1183夜 吉田健一 『英語と英国と英国人』
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◆九州・千夜千冊基本情報
1183夜 吉田健一 『英語と英国と英国人』
講談社文芸文庫 1992 垂水書房 1960
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1183.html


◇書籍情報
『こんな変な文学者はもういない。政治一家に育っていながら、ひたすらダンディズムに遊んでいた。白洲次郎もいいけれど、そろそろ吉田健一を思い出した方がいいんじゃないか』:松岡正剛


幼少期を英国で過ごした“神秘の文士”吉田健一。日本語が母語でありながら夢は英語で見たという伝説の英国を知り尽した文芸評論家の滋味溢れる随筆。「英語上達法」「読むことと話すこと」「英語と英会話」「旅の印象」「ロンドンの公園めぐり」「英国の四季」等その自然と風土のかもす独特の英国的思考と感性の底の普遍的なる人間真実を楽しく綴るエッセイ42篇。


◇九州深度:★☆☆☆☆
◆キーワード
吉田健一


◆千夜千冊・抜粋九州
なにしろ吉田茂の息子だった。お母さんが牧野伸顕の長女で、吉田茂が中国に行くまでは牧野家で育った。明治を代表する名うての元勲の家で育ったと思えばいい。


◇メモ
吉田には洋の東西の風を通過した体の感覚がある。それをもって日本を眺めた。そしていつも句読点が動く文体を磨きあげた。その文体がほしがる句読点を打ったのだ。そういう生きっぷり、書きっぷり、遊びっぷりを読むのが吉田を読む醍醐味なのである。(千夜千冊より


◇所感
アップする前になって、はて?九州とどういう繋がりだったっけと・・。吉田健一、吉田茂の系統樹は華麗なる一族です。吉田茂―麻生(飯塚)、吉田―大久保・牧野(薩摩)という線でご勘弁を。




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1185夜 佐伯恵達 『廃仏毀釈百年』
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◆九州・千夜千冊基本情報
1185夜 佐伯恵達 『廃仏毀釈百年』鉱脈社(みやざき文庫) 1988
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1185.html


◇書籍情報
『日本人の心をかえた神仏分離令、日本という方法を歪めた廃仏毀釈幕末維新のもうひとつのシナリオの連打と加速明治国教主義、神々の統括主義、国家神道の大号令ここに仏教が突如として矢面に立たされた弾圧か、廃仏か、法難か。ほんとうはいったいなにがおこったのか神仏習合だったこの国に、本来の神仏和解を取りもどすにはどうすればよいのか、今夜から気まぐれに始まる日本近世近代思想シリーズ第一弾』:松岡正剛



江戸から明治への転換期におこった“廃仏毀釈”という名の仏教弾圧。その暴挙は近代日本を貫いて太平洋戦争に導き、今もなお生きつづけているとする著者が、仏教徒としての自責と反省にもとづいて、この国の在り方を問い、平和国家への道を説く。(アマゾンより)


◇九州深度:★★★★☆
◆キーワード


◆千夜千冊・抜粋九州
神仏分離・廃仏毀釈は岩倉具視や木戸孝允や大久保利通からすれば、王政復古の大号令にもとづく「日本の神々の統括システム」を確立するための政策の断行だった。薩長中心の維新政府からすれば、神権天皇をいただいた国体的国教による近代国家をつくるための方途だった。が、これはあき
らかに仏教弾圧だったのだ。仏教界からすればまさに「排仏」であり、もっとはっきりいえば「法難」あるいは「破仏」なのである。

宮崎県の住職の佐伯恵達さんが綴った乾坤一擲である。研究書ではない。心情吐露の書だ。佐伯さんは長昌寺という浄土真宗系の寺の住職で、曾祖父の住職が廃仏毀釈にまきこまれ、父親がなんとか余命をつなぎ、佐伯さんがその問題の考究に入って、3代ごしの宿願の課題を書いた。怒りのこもった一書となった

本書で佐伯さんが薩摩の一向宗弾圧から筆をおこし、島津久光が菩提寺をすべて神社にしてしまったこと、それが宮崎に及んで飫肥藩や美々津藩の排仏廃寺運動になっていったこと、それが明治4年から6年にかけてピークに及んで、宮崎県でなんと650ケ寺に廃仏毀釈が降りかかってきたことを、詳細にレポートしておられる。


◇所感
廃仏毀釈で無くなった坊津の『一乗院』。もし残っていれば『九天・舜海プロ』は簡単にケリがついていたかも知れません。1685年、助さんこと佐々介三郎が水戸藩からわざわざ薩摩半島南端のここを尋ねたこともあります。なにか匂いませんか?。ねえ、宮坂さん。
ここは東シナ海往来の情報センターだったのです。
下級公家だった、岩倉具視。なのに廃仏毀釈などなど、強引に周りを巻き込むパワーエンジンをもっていた。明治維新を編集していった黒幕の源泉を知りたくなりました。





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1190夜 村上重良 『国家神道』
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◆九州・千夜千冊基本情報
1190夜 村上重良 『国家神道』』岩波新書 1970
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1190.html


◇書籍情報
『日本人についての理解が遠のいたままだ。神仏習合の意味が忘れられ、神道とは何なのかということも、でたらめな解釈に堕してしまった。いったいどこに、どんなシナリオがあったのか闇斎の垂加神道なのか、篤胤の国学なのか、水戸学なのか、維新政府の画策なのか。いよいよ「千夜千冊」が国家神道の謎に迫り維新の風に隠れた明治異常に一条の光をあてる。』:松岡正剛


◇九州深度:★★★★☆
◆キーワード

◆千夜千冊・抜粋九州
抜粋九州する単語、文脈は単体としてはないがすべてが九州と繋がる。


◇メモ
国家神道とは、伊勢神宮を本宗(ほんそう)として、全国の神社を統合的なヒエラルキーをもうけて編成し、それにもとづいた神宮・神社の祭祀を画一化したものをいう。ここまでなら神道が全国的なピラミッド組織をもったというだけで、民族宗教がそれなりに近代化していったとも見られる。 ところが、ここが国家神道の奇妙な性格になるのだが、明治政府はこれを宗教とはみなさず、一貫して「神道は国家の祭祀である」と主張して、国民に国家神道をゆきわたらせることを企てた。1185夜に書いたように、そこにはさらに神仏分離や廃仏毀釈という異常も進行していた。なぜ、こんなふうになったのか。

神道国教化政策は、あくまで明治政府がトップダウンに実施したものである。当然、神社界はこれに呼応したわけだが、主導権があったわけではなかった。また、神社界が一致団結できているわけでもなかった。神道国教化政策は、あくまで明治政府がトップダウンに実施したものである。当然、神社界はこれに呼応したわけだが、主導権があったわけではなかった。また、神社界が一致団結できているわけでもなかった。


◇所感
廃仏毀釈から続く日本の失敗。そんな気がします。
九州山地のど真ん中、五木寛之の“風の王国”に通じる気配をもった場所に、『日の宮幣立宮』という杜があります。ここの宮司によると明治維新のとき熊本で起こった「神風連の乱」の本来の事態は、『日の宮幣立宮』に対する新政府の不敬を正すことであって、廃仏毀釈から国家神道へと続
く一連のなかで起きたことだ。といいます。ここも一度、ZESTを払いたい場所でもあります。
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by ogawakeiichi | 2010-01-27 11:38 | 情報とデザイン
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