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彩遊記

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東アジアは、まもなく早春



f0084105_1554889.jpg三寒四温が移ろう季となり、梅のつぼみもほころびはじめた。
 
久々に見るピンクの群のまぶしさが、寒さで縮んだ身体に、「ハッ」と春の気配をとどけてくれる。

昔から日本では、この梅に、松と竹を加え、「松竹梅」として、めでたいものとされてきた。じつはこの「松竹梅」だが、日本だけでなく、韓国にも、中国にもあり、東アジアの国々を、一つに結ぶ吉祥の品である。
 
もとの由来は中国の古典「論語」だが、そのなかでは「松竹梅」を「歳寒三友」とよび、三人の友にたとえた。
 
冬の寒さに耐えながらも、凛(りん)として成長する「松竹梅」のイメージは、格好の水墨画の題材にもなり、東アジアの多くの画家たちがこれを描いた。
 
ぼくが中国で暮らしはじめて水墨の師匠に弟子入りしたとき、まず、最初に与えられた課題が「松竹梅」のマスターだった。なんどもなんども、身体が覚えこむまで描かされた。
 
さて、師匠に師事している弟子たちのあいだでは、先に入門した者が、後から入門してきた者を「師弟」「師妹」と呼ぶ。
 
ぼくが師事した徒弟集団は、年齢に関係なく、兄弟子たちは時に師匠になりかわり「師弟」「師妹」に絵画指導のほか、私生活にもなにかと世話をやいてくれていた。
 
先月、その兄弟子のひとりが、日本交流訪問の一員として日本へやってきた。来日の強行スケジュールの合間をぬい水墨の「師弟」であるぼくを訪ね、鹿児島まで来てくれた。

しかし限られた時間は数時間。外は小雨だ。
 
新幹線でついた彼を、とっさに駅の屋上にある観覧車へ誘い込む。
 
霞(かすみ)をぬって正面にみえる桜島と錦江湾の美しさに、兄弟子は「好・好(ハオ・ハオ)」を連発していた。
 
しかし錦江湾を、大きな河と勘違いしたのはさすがに大陸的だ。
 
老舗の黒豚しゃぶしゃぶの味に感激して夕方には市内をあとにした。


もちろん多くの留学生やビジネスマンが日中を往来している時代だが、気がつけば、中国でごく普通に、一緒に暮らした兄弟子までもが、鹿児島を訪ねてくるときが来たのだ。
 
日本を中心に世界地図を時計回りに九〇度回転させれば、日本は太平洋を背に一番下にあるパチンコ台の受け皿にも見えてくる。あたかもさまざまなルートから落ちてきた玉が、最後の受け皿である日本に流れ込むようにも見えてくる。

かつて日本人は大陸へ学びにでかけ、また大陸からもさまざまな人やモノがやってきた

貪欲(どんよく)に生命の危険をかえりみず、先人たちが追い求めた東アジアだが、しかし、宦官(かんがん)の制度や、纏足(てんそく)の慣習は海をわたってこなかった。

日本は大陸から文化が流れ込むとき、しっかりと自分のものさしをもっていたのだろう。

今回の兄弟子の鹿児島訪問を機に、われわれのすぐとなりにひろがる、東シナ海と東アジアの伝統と文化の意味をもう一度味わいなおし、再び心に浮かべてみるときが来ている。そんな気がする。
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by ogawakeiichi | 2010-02-05 15:54 | 南日本新聞コラム
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