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彩遊記

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鳳の国

ぼくの脳の傾向は 、[すべてのモノ・コトは連続してネットワークしている][現象には意味がある]と、まぁ、あたりまえといえば、あたりまえのもと、『歴史の俯瞰→連続性』 『生命ってなんじゃい→歴史以前の連続性』 『デザイン・アート・遊→未来へ向けての連続性、。かつ、めしの技』と、いう3つカテゴリーが融合と分離と、また融合をくりかえすスパイラルにある。

つまり、その3つの系が、つねに絡みあい、一本一本に解きほぐされ、またグチャグチャにして一本になる。思考に新しい要素が加わると、その場と時間で千変万化、創発変化してきた。

ある程度まで意味記憶とエピソード記憶が蓄積されると、仕事場への行き帰りの3時間の散歩?中に、『ハッ』と、降臨のごとくアブダクションが発動する。1/fのゆらぎの幅も『ケリがつく』の一点へ向け収束してゆくのである。

さて、さて、26日、2・26事件の命日までには、あの出来事の鍵穴を探し出しておきたい。それには、まず満州を解せずして、226は語れない。。

先にほぼ網羅し終え、ケリがつきつつある『満州』を明示化しておきたいのだが、伏線が思った以上に絡みあう。

どう記録してよいのやら。紀伝体か編年体か?

満州は以前、超、大雑把に明示したことがあった。
以下↓

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ライフワークのひとつである、『ユーラシアの俯瞰』のヤマであった、満州問題にぼちぼちケリがつきそうです。いやあ、ここは俯瞰と細部をかわるがわるみていかないとまったくわかりません。ここまで数年もかかってしまった。

満州の肝はいろいろありますが、満州設立の推進エンジンは天津教、大本教、日蓮宗、紅卍、天理、などなどどうやら宗教であります。

イケイケの日蓮宗で押し捲り、天皇のルーツを高句麗に求める天津と大本が、黒龍会とのあわせにおいて『鳳の国』構想で後押しやって、麻薬で資金をつくり、その後は商売と日ユ同祖のロマンでユダヤ人移住計画である河豚計画を進めようとしていくのですが・・・・こんなこと教科書には書いてありませんねえ。。

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まずは、日ユ同祖論だが、歴史の裏を探っていくと必ず出会う。四国の剣山にアークが隠されているとか、祇園祭はシオン祭りで鉾の車?にはユダヤ絡みの刺繍が施されているとか、スメラミコトの天皇はシュメールのことだなどなど・・


胡散臭くもあるが、徹底してみて行くと、真実のようにも思えてくる。
つまり、真に胡散臭さがまぶされていると見た。
胡散臭さに、キラリと真がまぎれこんでいると見た。
このあたりが、満州派のロマンになっていったんだろうな。。

天津教、大本教を凝視してみれば、そこから違う、地平線がみえてくる。

しかし、だれが日本とユダヤを同祖として結んだのか?



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長山靖生
『偽史冒険世界』

小谷部全一郎は貧困に生まれながら自力で放浪して北海道に辿りつき、アイヌのコタンに身を寄せ、さらにアメリカに渡ってエール大学を卒業、10年におよぶアメリカ滞在をへて明治31年に帰国してからは横浜紅葉坂教会で牧師をつとめたのちに北海道洞爺湖近くに移住し、日本で初めてのアイヌ人のための実業学校を設立した人物でもあった。また、昭和に入っては『日本及日本人之起源』を書いて、のちに有名になった「日本人=ユダヤ人同祖説」を唱えた張本人でもあった。

 これがすべて小谷部全一郎ひとりの"業績"なのである。むろん"共謀者"もたくさんいた。

「日本人=ユダヤ人同祖説」では、酒井勝軍の『猶太民族の大陰謀』が、日本人こそはイスラエルの失われた十支族にほかならないという説を打ち出して、日猶同祖にいっそうの拍車をかけた。

拍車をかけただけではなく、「日猶が同祖ならば、正しいシオニズムとは日本回帰運動である」という突飛なイデオロギーをふりまいた。(千夜千冊松岡)

たんなる個人の妄想なら、それでもよかった。そんな小説はごまんと世の中にある。しかしこの暴走は"フィクション"であることより"ノンフィクション"であることを望みすぎたため、本書の著者が指摘するように、どこかで八紘一宇の思想や関東軍のアジア政策に絡み、本書にはふれられてはいないが、ドイツやロシアから巻きおこった「黄禍論」に対する憤懣やるかたない反論の暴走とも関係していった

偽史と正史は紙一重。というよりも正史を拓くには偽史にも勝る矛盾と葛藤を呑みこんでいかなければならない。
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正史といても、なんにとっての正しい歴史かということですね。
満州には、日ユ同祖のロマンとともに、日本人の源流を、アムール河のあたりに求めた、黒龍会が『鳳の国』構想をぶったてた。
これが、当時、日本の今様だったのです。

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滝沢誠『権藤成卿』

開戦派の内田良平が「黒竜会」を結成すると、権藤は矢も盾もたまらず上京、内田の動きに合流する。
 
内田や権藤が、李容九(一進会)・黄興(華興会)・宋教仁・孫文(興中会)とのアジア的革命のための連携を始めるのはここからである。

このとき伊藤は内田良平と矢上錦山を統監府嘱託にして京城におもむいている。このことを助言したのは玄洋社の杉山茂丸だった。

ここには、やがていっさいの厄災の元凶となる日韓合邦運動が芽生えていた。この密かな運動計画は、一進会の財団結成とともにしだいに濃いものになっていく。
 
そのシナリオには、日韓合邦が成就した暁には、一進会100万の会員を率いて満州移住を実現し、やがておこるであろう“支那革命”に乗じて満州独立をかちとろうということが書きこまれていた。
 
これはのちの昭和になって肥大する“東亜連邦構想”の第一歩にあたる。ロシアの極東進出を阻むシナリオがそこに下敷きになっていた。

 また、ここには奇妙な「鳳の国」構想というものも描かれていた。「鳳の国」というのは大高麗国建設の夢ともいうべき破天荒なもので、古代の沿海州に勢力をはっていた扶余族の版図をふたたび蘇らせようというものである。

そんな天一坊めいた計画もあったのである(ここにはのちの五族協和や大東亜共栄圏
の骨格もあらわれている)。
 
しかし、当時はこれらの奇々怪々の構想には、黄興も孫文も、かれらを支援した宮崎滔天も松永安左衛門も、さらには康有為も梁啓超も、また犬養毅も柏原文太郎も賛同していた。熱心だった。ようするに当時のアジア主義者の大半がこの構想の裡にあったのである。
 
こうした運動が進むなか、権藤はどうも内田良平への資金援助を担当したらしい。

大正3年、麻生飯倉片町の南葵文庫に変わったメンバーが集まった。中江兆民らとフランス留学し日本人としてマルクスと唯一会ったといわれる飯塚西湖、黒竜会の文筆担当者の小沢打魚、東洋社会党の設立者で『大東合邦論』の著者である樽井藤吉、自由党左派で加波山事件と大阪事件で有名を馳せた大井憲太郎、自由党幹部で後藤象二郎の娘婿の大江卓、内田良平、山口弾正らである。
 

中心に権藤成卿がいた。この権藤サークルは、大正7年に満川亀太郎を世話人として結成された「老荘会」の輪の中に入っていく。老荘会はすぐに満川・大川周明・北一輝らの「猶存会」となるのだが、権藤サークルはこれらを母体としながら、大正9年に「自治学会」となっていった。

自治学会こそは権藤が主宰する権藤独自の結社であった。そこでは「社稷国家の自立」が叫ばれ、明治絶対国家主義が徹底して批判された。

社稷とは、土の神の社、五穀の神の稷を併せて言葉で、古代中国の社稷型封建制に由来する共済共存の共同体の単位のことをいう。日本の歴史のなかの例では「郷」にあたるだろうか。

「社稷は国民衣食住の大源であり、もって国民道徳の大源である」と、権藤の『皇民自治本義』にはうたわれている。けれどもそこには、あまりにも儒教的で孟子的な日本主義が謳歌されていた。

『南淵書』は北一輝の『日本改造法案』とともに、昭和維新のひそかな“バイブル”となったのである。なぜなのか。そこにクーデターの理念と根拠が綴られていたからだった。

権藤は『南淵書』なる古典を持ち出してくる。南淵請安が中大兄皇子や中臣鎌足に説いた政治の本義が示されているらしいが、蘇我氏の専横によって崩れかけた社稷を回復した大化の改新に権藤は一つのモデルを見出す。

蘇我入鹿暗殺は、“君側の奸を討つ”という昭和維新クーデターを正当化するアナロジーとして働いた。

現状変革を正当化する権威を歴史に求めるのは中国の古典に特徴的な論法である。『論語』にも「述べて作らず。信じて古を好む」という言葉がある。

権藤と同時代、清朝の光緒帝を動かして変法自強運動を進めた康有為の公羊学もやはり同じ論法を取っている。


権藤の思想の特徴として、もう一つアジア主義が指摘できる。若い頃、黒龍会の内田良平や武田範之、杉山茂丸、一進会の李容九、宋秉畯らと共に日韓合邦運動に加わっていた。一進会には“鳳の国”なるプランがあったらしい。

朝鮮半島を軸に東は沿海州、西は万里の長城の北側へと両翼をのばす形が鳳に似ているのでこう呼ばれたそうだが、この領域をかつての“大高麗国”の版図であったとみなし、朝鮮人の入植活動を進めようという構想である。

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満州に惹かれた皆様は、鳳の国、“大高麗国”の建国ロマンを求めていたのですね。
by ogawakeiichi | 2010-02-13 09:14 | アジア史&思想
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