博多天神の由緒ある雰囲気の漂うモツ鍋屋に、むかしむかし鹿児島を
共通の場とし創発させた3人が参集した。
近況報告を核に、日本の将来から、
量子論からアセンション、
グラミン銀行からシモネタまでと話の枝葉を伸ばした夜だった。
某無名さつま揚げを全国ブランドにした仲間でもある。現在ひとりは関西D通でグリコの担当。もう一人は凸で新事業に取り組む。
15年も前の鹿児島での出来事だが、3人とも武道をやっていた共通体験から、身体性に格段の嚆矢をもち、ぼくが主宰する『チーム・ラサ(デザイン)』のメンバーとして体育会系のノリで、錦江湾横断遠泳4キロやら、フルマラソン、トライアスロンまで、なにかと歌舞いた仲間でもある。
もう一つ、3人には『インド系』を通過してきた共通点もある。ひとりは、なんと高校生で1年休学、ひとりでインドへ出向きヨガ修行をしてきた。もうひとりは、某なんたらの脱会メンバーでもある。←若気の至り?
まぁ、このメンツ。身体性と思想を重ねていたので、即行動だった。行ってみて、ヤッてみて、から判断する。←これって王陽明の言う」『知行合一』??。。←B型の若気の至り?
本物を探せ!との内輪の企画で、県内の霊能力者や、すごいと言われる人を突撃訪門することもしばしばあった。生活を禅の一環と捉えているD通T氏が、臨済の公案のようなものを相手にふっかけ、本物と偽物を判断していた。←若気の至り?
昨夜そのメンツで、別れ際、話題になったのが、意識についてだ。
生命は進化して意識をもったのだが、じゃあ観念意識を概念化する言語って、どうやってはじまった?ということになり、D通T氏がもちだしてきたのが、チョムスキーだった。
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アメリカの言語学者ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky, 1928-)は、人間がどのようにして言語の知識や能力を獲得するのかという問いに答える重要な仮説を提唱した。
この人間の言語獲得にまつわるチョムスキーの仮説が『生成文法理論(generative grammar theory)』である。
生成文法理論ではあらゆる言語の初期形態である『普遍文法』が生物学的な言語能力の基盤として仮定されている。
チョムスキーによれば、人間がどんな母語であっても数年という比較的短期間でその言語体系を習得できるのは、
後天的経験(学習経験)に依拠しない『普遍文法(UG)』が生得的に備わっているからであると考えた。
生成文法理論では、すべての自然言語の基盤に普遍文法があると仮定されているが、普遍文法とは簡単に言えば『生得的な言語にまつわる知識・規則』のことである。
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チョムスキーは人類の言葉に共通の普遍文法もしくは生成文法とよばれる文法の構造があると考えた。
そして、その構造を形式文法のクラスの包含階層として4つの階層があるとした。
まず、チューリング・マシン(0型文法)と自然言語、正規文法(3型文法)という階層があるとし、
0型文法と3型文法のあいだに文脈依存文法(1型文法)、
文脈自由文法(2型文法)があるとして、
その規則と定義を与えたものがチョムスキー階層と呼ばれるものであある。
生成文法の出発点は、
1.人間はなぜ見たことも聞いたこともない文を発したり、理解したりすることができるのか?
2.人間はなぜ見たことも聞いたこともない文について、言えるとか言えないとかの判断ができるのか?
たとえば、
○アフリカ象が牙が長い
○牙が長いアフリカ象(がいる)
×アフリカ象が長い牙(が落ちている)
3.なぜ人間だけが「言語」を持っているのか?
(動物言語とは全く質が異なる)
これらの疑問に答えられる仮説はいくつかあるがが、その一つを考え出したのがチョムスキーだった。
彼は、人間は生まれながらにして、文法を持っていると考えた。これを普遍文法と呼ぶ。
普遍文法に単語を与え、ちょっと微調整してやれば、英語にも日本語にもタガログ語にも中国語にもケチュア語にもなるというのだ。
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ソシュールの言語学では、音や文法の研究で成果をあげるも、文の構造の問題、語順の問題については、どのような方法で何を明らかにするのかさえわかっていなかった。
チョムスキーの生成文法は、文の構造だけでなく、音や意味のようなコトバの側面についても組み込まれてきていると考えた。
その直接構成素分析では文や語句を二つずつの直接構成素に分割していく。ところが、二つに分ける基準はあいまい・・だった。チョムスキーは、この問題点に対して、すべての構成素に、主語・動詞・目的語・前置詞句等の名前を付けることで、解決しようとした。
つづく・・・
※多くのHPから参考・引用あり。