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彩遊記

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神々の乱心

東シナの「『空』の入れ物に、次第に近づく大陸からの動向がトリガーになったのか、一見関係のないとおもわれていた複数の情報ベクトルが、複雑系のカオスの動向が、一気に 『 』 へ向かってやってきた。ほらね。。

複数の情報が離れていれば離れているだけ、もやっていればもやっているだけ、その間隙からたちのぼる香ばしさの気配は大好きではあるが、そこに関係性の鍵と鍵穴を見つけ出す身体はひとつなのである。

一気呵成に瀬戸を渡るかぁ・・。大元には、あいも変わらす魑魅魍魎が徘徊するが、『べき乗則』に従えば、まあ、それはそれとして、あとは我が身口意の按配だけ。←ふふふ。

↓こちらは、こちらで、2・26へ向かって腑に落とさねばならない。
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2009年05月29日 (金)
視点・論点 松本清張の「遺言」
明治学院大学教授 原 武史

 今年は、「国民作家」といわれる松本清張の生誕100年にあたり、北九州市の松本清張記念館ではそれを記念するさまざまな催しが行われているほか、東京の世田谷文学館でも松本清張展が開かれています。また出版社でも清張の著作を復刊したり、アンソロジーを組んだりするなど、改めてこの作家に対する再評価が進んでおります。

言うまでもなく清張は、『点と線』『砂の器』に代表される推理小説の書き手であるとともに、『日本の黒い霧』『昭和史発掘』のようなすぐれたノンフィクション作品も数多く残しています。しかしながら、最後の作品となったのが、400字詰め原稿用紙で1700枚を費やし、死去のために未完に終わった『神々の乱心』であったことは、あまり知られていないように思われます。

 この作品の構想は、清張が二十年以上にわたって温めてきました。清張がライフワークにしていた『昭和史研究』で得た膨大な史料と関係者へのインタビューをもとに、最後に全精力を傾けた小説です。

 小説の内容を、ごく簡単に紹介しましょう。大正末期、満洲で「月辰会」という新興宗教を興した教祖が帰国し、埼玉県の梅広、いまの東松山に本部を置き、大正天皇の病気回復を願う元高等女官や高等女官を信者にすることで、宮中へと進出します。

そして皇位、つまり天皇の位の象徴とされる「三種の神器」や、特殊な宗教儀式に用いられる半月形の凹面鏡をそろえて皇室を乗っ取り、昭和天皇の母親である貞明皇后を取り込みながら、昭和天皇に代わって、昭和天皇の弟である秩父宮を天皇にするための行動を起こそうとするまでの野望を描いた作品といえます。

 皇室を乗っ取ろうとする教祖の野望の物語--こういうと、一見、荒唐無稽な発想に思われるかもしれません。しかし『神々の乱心』は、小説でありながら、戦前の宮中で実際にあった動きを十分に踏まえています。いや、それだけではありません。戦後の宮中で実際にあった動きまでも踏まえている可能性があります。清張が執筆していた当時には、そうした動きに注意を払っていたプロの学者や歴史家はほとんどいなかったにもかかわらず、戦前、戦後を一貫する宮中の世界を、あたかも目に浮かぶようにありありと描いているのです。

平成になってから公表された昭和史の第一級史料は、清張の小説家としての想像力が確かだったことを裏付けています。

 つまり、史実をもとに小説に仕立て上げている。完全なフィクションでなく、長年手がけた推理小説と、『昭和史発掘』で培ったノンフィクションの手法を融合させたような小説なのです。清張は1992年になくなりますが、昭和から平成になり、自らの死が迫ったときに、天皇制という長年の課題に小説のかたちで決着をつけ、昭和を総括しようとしたといっても過言ではありません。

 しかし、『神々の乱心』では、昭和天皇や貞明皇后、秩父宮に触れる箇所はありますが、登場人物としては出てきません。主人公に当たるのは、月辰会の教祖と、埼玉県警察部特高課の警部、それに子爵の兄、高等女官の姉をもつ私立探偵役の三人です。

 月辰会というのは架空の教団ですが、このゲツは、古事記や日本書紀でイザナギノミコトの右目から生まれたツクヨミノミコトに由来しています。ツクヨミは、左目から生まれたアマテラスオオミカミの次に生まれたとされています。アマテラスが昭和天皇だとすると、ツクヨミは秩父宮に相当するわけです。

清張の小説では鉄道がしばしば重要な役割を果たしますが、『神々の乱心』でも月辰会の本部が東京と秩父地方を結ぶ東武東上線の沿線に置かれているのは、実は重大な意味をもっているのです。

 この小説では、「三種の神器」が出てきます。三種の神器というのは、ヤタノ鏡、草薙剣、ヤサカニノ勾玉のことで、皇室に代々伝えられてきたものですが、月辰会では本物の神器は皇室でなく、月辰会がもっていると主張します。

これは昭和初期に天津教や神政龍神会といった教団が実際に起こした不敬事件をもとにしています。月辰会が三種の神器をそろえて宮中に進出するということは、昭和天皇の皇位を否定し、秩父宮を天皇にするための一つの手段でもあるわけです。

三種の神器は、天皇といえども見てはならないとされているため、その実体は不明ですが、清張は登場人物に、ヤタノ鏡は内行花文鏡であろうと語らせています。

 ところが、それだけではありません。この小説が複雑なのは、さまざまな鏡が登場し、内行花文鏡とされたヤタノ鏡のほかに、多紐細文鏡と呼ばれる満洲出土の凹面鏡が重要な役割を果たしているからです。

ここには邪馬台国をはじめとする清張の古代史研究の成果も生かされています。
月辰会の本部には「聖暦の間」と呼ばれる、最も聖なる空間があり、そこでは満洲の道院にいたときに教祖と駆け落ちし、月辰会で斎王台と呼ばれるようになった女性が、「チシ」という神がかりの儀式を行います。凹面鏡はここに置かれているのです。

もし三種の神器だけだったら、『神々の乱心』はせいぜい、昭和史の謎に光を当てた小説として位置づけられるにとどまっていたでしょう。あるいは、月辰会教祖の野望の物語だけで終わっていたでしょう。しかし、凹面鏡を設定したことで、王権におけるシャーマンや女性の問題が、はっきりととらえられています。

皇位継承権を男子だけに定めた明治以降の皇室典範だけでは説明できない問題が天皇制のなかにあることに、清張は気づいていたのではないでしょうか。

 清張はおそらく、この小説の結末を、2・26事件をモデルにして書いたと思います。しかし私は、月辰会が1940年に来日する溥儀と接触し、満洲に再び帰るというシナリオや、秩父宮が病気になり、昭和天皇の退位問題が浮上する占領期に、秩父宮の病状回復を願って埼玉県を訪問し、秩父神社を参拝する貞明皇后を取り込むというシナリオもあり得ると考えています。

 私は政治学者ですが、小説をよく読みます。それは、すぐれた小説のなかに、学者には到底思いつくことのできないすぐれた着眼点が、たとえ萌芽的な形であるにせよ認められることがあるからです。最近の小説では、桐野夏生さんの『女神記』や、奥泉光さんの『神器』に強い刺激を受けました。

内容には立ち入りませんが、どちらも天皇制の深層を鋭く抉り出していると思います。

 しかし、その先駆けとなる小説を書いた作家こそ、松本清張であったことを忘れてはなりません。清張は、『神々の乱心』という未完の大作を、いわば遺言として書きました。松本清張を単なる国民作家として見るのではなく、いまなお解明されない天皇制の深層を見据えようとした、スケールの大きな思想家として見ることが必要だと思います。松本清張の遺言は、いまなお完全に読み解かれてはいないのです。


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国営放送で、ここまで言える時代になったんだ。。それとも情報操作?
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by ogawakeiichi | 2010-02-17 08:37 | 日本史&思想
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