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彩遊記

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藤森照信

昨日は一番弟子が、脈々と太古の時代からつづく遺伝子のリレー連鎖(その一)を無事終え、アッパレめでたしめでたしの日であった。。パチパチ。←あっ、奥さんにね。

今月末にはデザイン工学・建築都市の修士もおわり、結界の守護魔方陣、古都に寄り添ったもうかりまっかの街へ移るが、そこでどんな物語がはじまるのかたのしみでもある。

ところで、ぼくの好きな建築家のひとりに藤森照信がいる。彼はもともと建築史の専門家だ。たしか一番弟子の話ではベトナムで藤森研の学生と一緒に調査をやったとかいっていた。藤森建築は常にアジアや日本が数寄だ。だから茶室も、この通り↓
ズレと伝統の間、いいねえ。
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                     高過庵(茶室)

さて、『数寄屋』は洗練された上品なイメージが定着しているが、これはじつは利休以後のことである。『数寄』というと、利休の前に派手に振舞ったバサラまで、たどったほうが、現代の空気にあう。

ところが、利休はバサラの伝統を継ぐ。中国的美学を嫌った。バサラは中国渡来の、書画を賭けて茶事を行ったので、鑑識眼が高くなった。高価なものを賭けるので、真剣にならざるおえない。

ところが、利休は、禅的な精神の茶に立ちかえらすために、中国趣味や豪華といった美を排除する。
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© Dezeen architecture and design magazine

バサラとは正反対の『侘び・さび』をよしとした。さらに広い空間ではなく、狭い空間でお茶を追求するようになる。室町時代、日本間の基本は三間四方の九間からスタートし、利休の時代までに四畳半というのは人間にとって一番使いやすい空間でもあったのだ。(参考:CONFORT)
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by ogawakeiichi | 2010-03-07 13:59 | 情報とデザイン
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