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彩遊記

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先月下旬、鹿児島市日中友好協会総会の席で小一時間、話す機会を与えられた。

会場についてみれば、お歴々の大先輩、名前だけは知る中国通の日本人、中国人留学生、国際交流員の方々などなど、中国に詳しい人たちばかり。

その場へ来たことを後悔したが、もう後の祭りだ。

ぼくは『日本とアジアの見方~変化のまっただ中で暮らした中国十年~』とのタイトルで、語ることになる。

デザイナーの視点から、日本と中国を、二つの焦点をもった楕円に見立てて、生活、歴史、アジアの価値観、そしてブランドまで高速連射したものの、いわば、中国に関するプロを相手に冷や汗ものの講演でもあった。

そのときの話をかいつまみ、話たらなかったところを補いながら振り返ってみたい。

さて、アジアを語るときに、どうしてもはずせないことがある。

もともとアジアにはアジアの多様性が息づいていた。

アジア独自の多様な価値観に基づいた社会があった。

それぞれの国は、国内の社会秩序とアジアの国際秩序をつくっていた。
当時は農耕社会を基礎に、日本は武家社会、韓国はヤンバン階級、中国は官僚制度をつくっていた。

農耕社会の基本は、土地と水を共同で使い、共同体での経営である。
それに対し西洋は私的所有の概念で土地を分け、自由という競争社会をつくっていった。(今、中国さえも政治は社会主義だが、経済は競争社会だ)

話は変わるが、ぼくの中国での生活は右も左も、まったくわからないところにはじまった。
エスノグラフィーと呼ばれる民俗学の対話の方法で、周囲とコミュニケーションをとっていった。

大勢の仲間とコミュニケーションが成立してくる頃には、顔は似ているのに異なる文化や政治体制、歴史認識の違い、生活習慣などなどに、モヤモヤとした違和感をもちはじめていた。

言葉にできない、モヤモヤは、コミュ二ケーションの深まりとともに、次第に「分る」「判る」「解る」となった。

つまり、違いを、違いとしての「理解」がはじまる。

それが極まり「好き」になっていく。

じつは商品をブランドとして認識していくのも、ちょっとの仕掛けがあるものの、この過程と、とてもよく似ている。

現在、中国に進出した、日系のコンビニは、日本式の管理方法で、急成長している。一番の売れ筋は、「おでん」だという。 日本に留学した中国人が、その味と手軽さを覚えて帰国し、友人や家族にそれを伝えて広がった。

また、中国から日本へ高度医療を受けに、また温泉で保養にくる日がやってきた。  

なかでも九州は、中国には少ない温泉と美しい海岸線と火山をもち、美味しいたべものもある。 

いよいよ日本の花鳥風月が、九州が、鹿児島がブランドとしてアジア全域に広がる時が来ている。

とりとめもなく、そんなことを語った。
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by ogawakeiichi | 2010-04-30 11:21 | 南日本新聞コラム
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