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彩遊記

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ミトラか、弥勒か、朱舜水。

ミトラか、弥勒か、朱舜水。「ミトラ  弥勒  明朝  明治」。なんと、長ったらしいタイトルなのか。
しかし、どの名辞・単語も外せない。「ミトラ」「弥勒」「明朝」「明治」すべて『M』ではじまる。

そこで、何の根拠もなく、この「言霊」の「Mの結び目」に目をつけてみることにする。

まったく違うと、思っていたモノ、コトの間隙にある関係性を見つけ出すことは、とても爽快なことである。

が。

アブダクションが発動しても、カタチにしようと思っても、するりと逃げられてしまう。

なにはともあれ、「チャンクな情報」からアウトプットだ。とにかくなにかに仕立てる行為にいかねばカタチも残らず、脳のニューロンも此処一発の炎上がない。だから今、なにがなんでも、観念の概念化に立ち向かうのだ。

その覚悟をもって、ミトラ教と明治維新を繋ぐ壮大なユーラシアの秘密めくドラマチックな精神流に迫りたい。

ペルシャに起こった【ミトラ】の光は、東へ伝わり、なんちゃって白蓮教徒の朱元璋が【弥勒】パワーに着せ替えて【明朝】を仕立てるが、やがて清朝に滅ぼされるときが来る。

その流れの深層は結社へ、

表層の一条は明朝復興を夢見た「朱舜水」により日本へと向かう。舜水の観念は南朝崇拝の水戸で成熟。

のち松平春嶽が名付けた、南朝の香ばしさ漂う「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」の【明治】に至る。


ある情報文化はある母型をもち、母型の上に発達する。つねに事態は移動からはじまり、着せ替え、乗りかえ、重ね着と姿を変えていく。

ユーラシア大陸を「パチンコ台」に見立てると、日本の位置は様々なルートから多様な情報を受け入れ、混沌を引き受け、バランスをとりながら一気に融合させる相等にハイブリッドな、全ての玉を受け入れる最下端の受け皿のような存在だ。

そこで、この歴史上から抹殺しかかっているミトラ教と、明治維新のトリガーを引いた、中国明朝の遺臣「朱舜水」をクロニクルさせていく。


まずは、東アジアに伝わったミトラ教を中国を舞台に時系列で並べてみよう。

↓面倒くさい人は、クロニクルをパスしてくだされ。
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紀元前 202~ ○ミトラ(東方ミトラ・マニ教)が東アジア一帯に広がる

紀元202  ○飛鳥時代には日本でも聖牛の供儀が盛んに行われた。(日本)◆中国にミトラ教(東方ミトラ)をもちこんだのは、ゾクト人(タジク人)とウイグル人の商人である。◆中央アジアまでは、バビロニアからカルデアン・マギもきている。◆経路は、内陸のシルクロードだけではなく海路もある。◆中央アジアで仏教のマイトレヤーと融合するかたちで中国に到来し、弥勒と呼ばれるようになった。

763年   ○ウイグル王国は東方ミトラ・マニ教(摩尼教、明教)を国教とする

845年   ○会昌の仏教弾圧の巻き添えを恐れミトラ教のマギ(神官)が福建へ逃れ、ミトラ教が中国化し て弥勒教となる◆ミトラと十二星座の結びつきは、弥勒教においても継承され、弥勒は十二星座界のヌシと呼ばれた。◆弥勒教においては占星術と風水が結びついた。◆ミトラ教はバビロニア占星術を中国に持ち込こみ十二星座・二八宿は、当時の中国の十二支二八宿と融合。 ◆七曜とミトラ教の呪術的な側面は、中国道教における北斗七星)信仰に結びついた。◆二八宿は仏教経由で中国に伝わったが、すぐに道教化。

12 世紀~   ○朱子は東方ミトラ(マニ教、摩尼教、明教)を学び朱子学を起こした。(※私見として、正確な考察の必要性を感じますが、もしそうであればこれはおもしろい。)

1271年~1368年   ○仏教の弥勒信仰およびポン教を取り込み、道教と弥勒教が中国二大宗教となる

14世紀中頃   ○中国山東および湖廣で叛乱が起こり元朝の支配が揺らぐ○倭寇と呼ばれる海賊が出没しはじまる○ 南北朝の動乱がはじまる(日本)

1351年    ○紅巾の乱が起こる◆白蓮教の教主であった韓山童(明王)や劉福通らが兵をあげる(東系紅巾軍)◆長江流域でも叛乱がおこる(西系紅巾軍)◆大勢力となった弥勒教徒(白蓮教、明教など)は紅巾の乱をおこし元を滅ぼす

1367 年     ○朱元璋が南京で即位して『明』を建国◆ミトラにおける理想郷「光の国」にちなんだ『明』という国号をつける◆明代以降、儒教・仏教・道教のほかに、儒教・仏教・道教・明教を融合した民間宗教(弥勒教)が現れた。※弥勒教は老子転生・弥勒下生・李弘伝教を説く宗教であり老子も釈迦も孔子も、李弘もみ  な弥勒の化身とみなした。 ※中国における「弥勒」は、ミトラ教のミトラにマイトレーヤがとりこまれた存在であり、仏教的 なイメージはない。※弥勒教が広まった明代以降、中国では儒教・道教・仏教・明教を区別しなくなった。◆明の創始者である朱元璋は弥勒教を支持基盤として皇帝になったが、天下をとったあとは弥勒教(白蓮教、明教など)を厳しく取り締まった。弥勒教は秘密宗教という形態をとるようになる

明末~清初期     ○弥勒教系の秘密結社と秘密会党が多数生まれた。◆弥勒教系結社は、禁じれば禁ずるほど盛んになり、王朝とは別の勢力を形成し、たびたび大規模な叛乱をおこした。清代における民間の秘密結社は全国に広く分布し相互連携して地下秘密王国ともいえるものを形成した。※宗教系秘密結社には、一貫道、同善者、普度門など が会党系秘密結社には洪門会(天地会)、紅幇、青幇などがある




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〈引用・参考〉
シリウスの都飛鳥:栗本慎一郎  聖徳太子と斑鳩京の謎:久慈力  うつぼ舟:梅原猛  ミトラ教の歴史:ネット情報  ミトラ教研究.弥勒の徹底研究ミトラと弥勒:ネット情報  ミトラ教と神智学:ネット情報

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↓  ↓
◆ここで、ポイントを抽出してみると、12世紀以降の中央アジアと中国では東方ミトラ教
ミーフリーヤ派・弥勒派が活発な活動をし、彼らから朱子は東方ミトラ教を学び「朱子学」を興した。(12世紀)。↑※再考証の必要あり

更に王陽明が「陽明学」を築いた(15世紀)。東方ミトラ教は別名を「明教」というが、中国では明(1368~1644)という王朝名の由来となった。

朱子学と陽明学は東洋版神智学の双璧である。日本では江戸時代に林羅山、三浦梅園らが「日本朱子学」を興隆させ、中江藤樹らが陽明学を興隆させ、伊藤仁斎らが「古学」を起こし、荻生徂徠が「徂徠学」を起こし、本居宣長らが「国学」を起こした

弥勒信仰には2種類あり、死後縁をつないで龍華三会に会したいと願うのが『弥勒下生』。死後兜卒天に上って弥勒とともに暮したいと思うのが『弥勒上生』であるが、ミトラ教の本来の姿は『弥勒下生』である。

つまり日本には、アジアの深層を流れるミトラ教が、着せ替え、乗り換え、重ね着した見えない大河が、存在するということ。

興味深いのは、その流れは一条ではなく、様々なルートから、様々な人物、様々なスタイルでこの日本に流れ込んでいる。

以下は舜天講のみなさまが、
東京湯島聖堂であった出来事だ。
◆     ◆     ◆
※湯島聖堂の担当学芸員らしき人物との会話から・・

>・この孔子像は安東家に渡された三体のひとつと表向きにはなっているが、
>この聖堂のものは武家に渡されたもので。。。ごにょごにょとおっしゃる。
>・突っ込むと、蘇我家経由となっているらしい。舜サマの頃にも
>そして今も蘇我家の分家は続いているので、とのこと。
>・そのような情報は一般に出ていませんよね、と確認すると
>天皇に関係する話は表には一切出ませんとのこと。

>・円月橋といい、舜水の設計能力はプロ並であることを改めて確認。
>単に勉学レベルではなく、実際に設計の経験があるはず。
>隠棲時代か、国家経営戦略のときか。


そこで、
★湯島聖堂の孔子像が蘇我(曽我)氏経由について…
★円月橋といい、舜水の設計能力はプロ並であることについて…このように説く!!

▼   ▼   ▼
栗本慎一郎の「シリウスの都飛鳥」をみると、重大なことが書いてあるではないか。※カールポランニーの経済人類学を継承した学者だから、まぁ、「とんでも本」の類ではないと思う。

■引用:栗本慎一郎「シリウスの都飛鳥」320P~
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さて、そろそろ蘇我氏の出自を探らねばならない。蘇我氏のキーポイントは、ミトラ・ゾロアスター的文化(聖方位、水の利用、石積みの墳墓)へのこだわり、領域より人の組織へのこだわり、そして双分制であった。…(中略)…

蘇我氏のルーツは、サカスタン王国を作ったサカ族のうちパルティァ主流派に最後まで宗教的に抵抗した氏族である可能性が高いだろう。彼らはインドに阿弥陀信仰を伝えることができず、結果として日本に伝えた。…中略…

彼らのほうが他のペルシャ人より太陽信仰や星辰信仰が強かったと考えてよい。それは逆にササン朝ペルシャの国教(ズルワーン教)を彼らが完全には受け入れなかったということでもあり、彼らはより仏教的なミトラ教を選んでいたのである。
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すなわち、朱舜水持参の湯島聖堂の孔子像の動向には蘇我氏と舜水のミトラ信仰を母体とする「観念技術」がはたらいているのではないか。

つまり、【ミトラ信仰の中央アジアからの蘇我氏の流れ】と、【明朝(ミトラ・弥勒)王朝復興の朱舜水の流れ】の観念技術が、日本で揃った。

さらに、石積技術、水利技術をつかった円月橋など朱舜水の設計能力にもミトラ・ゾロアスター的文化のおもかげがあったのかもしれない。このあたり結社の得意とするところでもある。

ユーラシアを俯瞰した見方が、出来ると、それはそれでおもしろい。
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おわり。
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by ogawakeiichi | 2010-05-09 05:37 | 歴史アブダクション
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