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彩遊記

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アフォーダンス

f0084105_0592918.jpg卒業制作指導がはじまった。学生の一人に『アフォーダンス』についての考察をやらせよう、いや、やってみたいと思っている。昨年の卒業制作は学生とともに『ユニバーサルデザイン』をやった。中国にはまだ少ないデザイン概念。

昨年は、この『ユニバーサルデザイン』って単語を、中国語にどう訳すかで随分悩んだ。どう訳すのか美術・博物館関係では有名な丹青社上海駐在日本人デザイナー新居くんに電話したり、電通上海のスタッフに電話して聞いてみた。時を同じくして、みんな同じことで悩んでいた。

中国語で『公益設計』って言うんじゃないかとの声もあった。でも、ぼくは、どちらかというと『公益設計』はバリアフリーに偏りすぎていると思っていた。そうするうちに一冊の本を探し当てた。田中直人氏の著書?『標識と環境ユニバーサルデザイン』?の中国語版があったのだ。結局、先に訳されたこの本にある『通用設計』を用いることにした。しかしこの訳、まだまだしっくりこない感じなのだが・・。

余談だが、後日ユニバーサルデザインの教育が専門である船津邦男先生に聞いたところ「通用設計」が中国語として流通しているとのこと。船津先生は、数少ない、中国語を操れるデザイン教育家でもある。

実はぼくにとっての卒業制作指導は、専門デザイン以外を学生とともに考えるチャンスでもある。おかげで、ぼくのデザイン守備範囲が広げられる。まぁ、学生にとっちゃ、頼りない先生だ。

『アフォーダンス』はともと心理学用語だが、デザイン分野の入り込む余地のある興味深い分野だ。たとえば。ここに紙が一枚ある。摘むのには紙のほうに手をのばして親指と人差し指をちょっと細める。その紙を折ったり引きちぎったりするには両手が必要だ。

その紙が不要な紙ならくしゃくしゃまるめて捨てたくなる。こうやって見ると紙は我々になにかを与えている。

その何かを与えていることを『アフォード』(ができる。をあたえる)という。われわらが何をしなくくとも紙はいろいろなアフォードの可能性をもっていにる。そのアフォードの可能性がいろいろあることを『アフォーダンス』という。

マイクにはそれを握らすという『アフォーダンス』があり、椅子にも座ることを要請している『アフォーダンス』がある。万年筆は持たれて紙とであうことを、電気かみそりは顎にあてられることを待っている。道具だけが『アフォーダンス』をもっているのではない。大地は歩くことの、断崖は落ちることの『アフォーダンス』をもっている。だから、ありとあらゆるものに『アフォーダンス』があると言っていい。

すべてのものが『アフォーダンス』をもっているということは、われわれは『アフォーダンス』のなかで知覚し、『アフォーダンス』のなかで動作をおこし『アフォーダンス』のなかで活動しているということである。

たとえば、どこかの応接間に案内されてソファに座るように促されたとする。われわれはそのとき咄嗟に、そのソファの高さや柔らかさを目測で判断して、自分の体をソファに対して背を向けつつ、ちょっと腰をかがめながら体をソファにアフォードされるように座る。

そのとき背中や腰や太股はソファの恰好やソファの柔らかさに対応するようになっている。合わさっている。しかし、何度かそのような体験をするうちに、目測はしだいに省略されて、ソファのテクスチャーを感じただけで座りかたがわかるようになる。『アフォーダンス』は、経験によってさまざまに深化するのだ。『松岡正剛千夜千冊より引用』

f0084105_19513821.jpg『アフォーダンス』には、最近マンネリで停滞気味デザイン界の突破口が潜んでいる気がする。それを学生と考えてみたい。じゃあ、『アフォーダンス』をどうやってデザイン具現化するのか?。

左の写真だ。『アフォーダンス』を応用した『取っ手のデザイン』だが、左側は取っ手の引き手がないので“押す動作”。右側は引き手があるので、“引くという動作”が無意識にアフォードできるってな具合だ。
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by ogawakeiichi | 2006-03-22 20:03 | 情報とデザイン
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