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彩遊記

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感知から認知へ

日本国家の制度機能的危機を、その属性である個人に依存し、無能を原因としてもねえ・・国家システムデザインの問題だと思うのですが・・。



鹿大でフェアトレード・ワークショップ。
ワークの過程を俯瞰しながら、学生が徐々にワークに乗り込んでくる気配を感知しながらジェームズ・タレルを思い出した。やっと探し当てた、彼の言説はこうだ。

「私が知覚を考察するアーティストであることは確かです。なぜなら、この知覚というのは自分たちが気づいてない不思議な贈り物だからです。あなたが話してくれた何人かの人たちのように、知覚に障害をもたない限り、自分たちが何を手にしているのか気づかないのですから、私は崇高な歓喜、知覚することの味わい深い喜びに興味があるのです」と・・。

「知っているのに気づいていないこと」に気づくこと。

これはデザイン価値を気づくことの喜びでもあるのだが、それはさておき。。

「知っているのに気づいていないこと」・・・つまり、『気づきの感知』はきわめて個人的なものだ。

複数からなる組織で共有することは場を共有した共通の体験でもしないかぎりなかなか困難だ。。

個人的な気づきを、組織の内部に取り込もうとするなら、なんらかの形で感知した事実を複数で共有する方法が必要である。たとえばディスカッションや、なんらかのツールに基づいた報告などのコミュニケーションの共有などなど・・

『感知』した事実は、そうした共有のための行為によって共有可能な文脈が創出されると同時に、『認知』へと連なる。それはまた共同知でもある。

共通の文脈を見出す過程そのものの合意を得るためには、複数を共振させるなんらかの仕掛けが必要である。

ワークを俯瞰しながら思うことは、この仕掛こそが、触知感覚をともなった『ワークショップ』という方法にあるのかもしれないな。。。と、いうことだった。。
by ogawakeiichi | 2010-06-03 10:09 | 情報とデザイン
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