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彩遊記

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雪舟の一番弟子

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↑keiichi ogawa painting


薩摩半島の海岸線や海側に近い、地名や史跡をじっくり観察してみると、これまで気にも止めなかったモノやコトに、歴史のロマンを感じることがある。

薩摩川内には「唐浜」という海水浴場があり、川内川にかかる太平橋の下には「唐渡口(ととんぐち)」と呼ばれる場所がある。

この地名に、ググッと近づき想像力を全開させ寄り添ってみると、7世紀、中国大陸にあった唐王朝からロマンが飛来し、東シナ海を舞台に想像以上の人や物の往来があった気がしてくる。

当時は国境の概念などなく、多様で多国籍な人々が船を操り、東シナ海を跋扈していたのではないだろうか。そんな気がする。

唐芋(からいも)の原産地はメキシコやペルーなど中南米だが、唐芋という名前から想像すると、太平洋の彼方から中国大陸経由で、鹿児島へと伝わって来たのだろう。その唐芋が、加工され鹿児島の特産品であるイモ焼酎が誕生している。

ボンタンは、中国人「謝文旦」が阿久根に伝えたと言われている。

串木野には、約二千二百年前、秦の始皇帝の命を受け、不老長寿の薬草を求めて数千人の大船団を率いて渡ってきたという「徐福」の伝承がある。

たどりついたとされる冠岳には、多くの薬草が自生し、「徐福」がその冠をこの山に納めたことから『冠岳』と呼ばれるようになったという。

地名や史跡は知ってはいても、そこに脈々と流れる歴史的背景は素通りしてしまいがちだ。しかし、一旦気づきが始まると、歴史に遊び、ロマンを飛翔させたくなってくる。

日本の水墨画の歴史を調べていたときのこと、「えっ!」と驚いたことがある。

日本の水墨画のトップランナーといえば雪舟だ。雪舟はご存知の通り、幼い頃、絵ばかり描いて、経を読もうとしないので、仏堂の柱にしばりつけられ、それでも床に落ちた涙でねずみを描いたという有名な故事がある。

その雪舟の最初の弟子に、「秋月等観」と呼ばれる薩摩の人物がいたことは知られていない。
薩摩川内市の中心から少し離れた場所に高城町がある。

いまでこそ京セラの工場があり、交通量も多いのだが、半世紀前、祖父の自転車の後ろに乗って、本家のある高城町へ連れて行ってもらった頃は、田園の向こうに見える小高い丘に点々と農家の連なる小さな集落だった。

そこに、雪舟の直系、それも筆頭弟子に近い人物が存在していたのだ。

そのうえ数百年前、当時の中国である“明”にまで渡った日本人水墨画家となると、これはもう、やぶさかではない。

ぼくの祖父も水墨画を描きながら庭師を営み、戦中、中国へと渡っている。

なんと秋月等観と祖父とぼくの三人は、高城集落・中国生活・水墨画つながりでもあるのだ。きっと雪舟直系一番弟子・水墨画家『秋月等観』のDNAは祖父を経てぼくにまで来ているにちがいない!?……(妄想)。
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by ogawakeiichi | 2010-06-05 07:46 | 南日本新聞コラム
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