いま、二つのブランドプロジェクトにかかわっている。、どちらも地域や日本を美味しくイジッてくれるのでは、との期待からだ??。
自分という個もブランドになってないのに、人様や公共さまをブランドなんぞにできるわけがない。しかし、世間様はぼくを、中国通であり、モノやコトをデザイン思考で捉えてくれると思っているらしい。←ふふっ。
おかげでいま、この圧力から、観察と観察であつめたものを仕分ける地味な引きこもりの日が続く。
地域ブランド化のこれまでの手続きを、よくよく凝視してみると、どれもこれも単線系で組み立てている。おまけに、その地域から立ちのぼる香ばしさというものを捉えきっていないのだ。つまり、観察してない。
広告会社がキャンペーンをしても、コンサルが技術の優秀さをいくら説明してもねえ。。
使いふるしたフレーズで、物知り顔で会議の場で放つだけのコンサルやファシリテータが、未来を演繹的に扱ったマーケティングが、大手を振るっていたのである。
マーケはマーケで、あるデータを切り取った重要な情報の一つ。マーケティングそのものに問題があるのではないのだが・・
地域をどうするかではなく、地域がまわりとどういう関係で動いていくかの思考が不足している。
バブルな右から上がりならいざしらず、複雑系の現在、後出しジャンケン的思考からは、イノベーションなんて生まれませんよ。
それとともに、地域の人々にとって、その地域とは何であり、どのような問題があり、なにを解決すれば皆が満足するのか、答えを利用者の日常生活に投げ込んで、その価値を理解してもらうことが大切でしょう。
やるべきことは、問題に観察とプロトタイプで挑戦し、地域の人々の心のなかにひそむ「忘れ物」を表層にあげていく、カタチにしていく。それはまた、「ワザ」でもある。
そのワザが地域の人々を動かしたとき、そのプランはオートポイエーシスでいうところの構造的カップリングをはじめ、多くの共感をよび、ブランドとしての実現に向けての第一歩を踏み出すことになるのである。