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彩遊記

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フェアトレード学

f0084105_1048216.jpgひょんなことから、あれよあれよと『フェアトレード』なるものにミメーシス(感染)されつつある。

環境とか福祉とか平和とか、言葉あたりのよいこの近辺は、ときに胡散臭いものも混ざった玉石混合な世界でもあり、これまでこちらから出向いていくことはなかった。

しかし、人生の縁とは奇なもので、あれよあれよと「共生のためのフェアトレード」という初開講のメンバーに座をもたされ、推進エンジンである鹿児島大学留学生センターK先生の放射熱に感染したこともあり、ここへ身柄を投企してみることにした。

※昨年後期は、内モンゴルまでいくことになる。

振り返ると、ぼくの人生は大雑把には、ああしたいとか、こうしたいとかのベクトルがあるのだが、ミクロ的には、そのほとんどが、突然やってくるものである。

さて、フェアトレードのことだが、とりたてて、トレードをフェアと言い立てるのには訳がある。そこには、1980年第から、主要国をはじめ世界を席巻した「ネオリベラリズム(新自由主義)」へのパラドックスがみてとれる。

現在の日本での食料自給率は、わずかに40%。私たちは、食べ物の多くを海外からの輸入に依存している。

食べ物だけではなく、家具、衣類、文具、生活雑貨など、私たちの生活は。海外、特に安い製品をつくってくれる途上国と密接に結びついているのだ。

1991年、香川県高松市に「100円ショップ」の第一号店がオープンし、価格破壊が凄まじい勢いで進行。グローバリーゼーションの波に乗って、企業は世界各地から、とくに途上国から安く『買い叩いて』きた。

企業努力という美名の裏で、途上国の生産者が「泣かされている」ことを、私たちは全くと言っていいほど知らない。

原始共産の時代は、お互いが物々交換をしていた。しかし、そのなかに「聞き耳をたてる第三者」つまり、情報を往来させる媒体が参入することにより、生産者から消費者までのあいだを、何人もがバトンリレーしていくシステムになる。

本来の生産者より、流通システムを握ることで生産者の何倍もの利益を享受するモノが現れれくる。

そうしたなかで、フェアトレードはむき出しのネオリベラリスト(新自由主義)がもたらす競争から、零細な生産者を守るセーフティーネットとしての装置でもある。

しかし、このフェアトレードと一括りで呼称される世界を、凝視してみると、じつに曖昧模糊でもあるのだ。

フェアトレードとよばれる団体やコミュニティーを、じっくり観察してみると、気がつくのは、いわゆるフェアトレードに対する立ち位置の違いだ。

深化ー拡大を横軸に、改革ー慈善を縦軸にとる二軸四方の四象限に分け、オルタネイティヴに深化したイデオロギー満載のグループ。フェアトレードラベルをつかった認知ビジネス。

売り場の片隅に、フェアトレード商品をちょろっと並べただけの、フェアトレード参加を謳う大企業。

立派なカタログを仕立て上げ通信販売をおこなうフェアトレード団体まで多様なのだ。

乱暴にいえば、フェアトレードの立ち位置からビジネルをやるのか、ビジネスの立ち位置から、フェアトレードを利用していくのか、様々な思惑をもった個人、団体が入り乱れている。

したがって、ぼくとしては人間中心のデザイン思考から、「現状をあつめ、ひきだし、つくってみる」ワークショプでおおまかな里程標を立ててみることにした。

そこから、デザイン思考で対極を取り結び、フェアトレードに創発を起こそうと企んだ。。

FTの原点・現状・問題点を、文化人類学、農業経済学、デザイン思考、の多様なメンバーと学生組織フェアレスの協力を得て、ワークショップを中心に紐解き、再構築していきます。。


先は長くなりそうだ。。。
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by ogawakeiichi | 2010-07-22 10:49 | 情報とデザイン
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