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彩遊記

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タイトルは日曜日南日本新聞で

f0084105_15462058.jpgそれにしても尖閣問題は、多くの人々の注目を集めた。少しは落ち着いて来たみたいだが。

テレビをつければ、ほんのちょっと前まで、中国人観光客の訪日が儲け話として騒がれていたのに、メディアはあっという間に、事件をきっかけに中国のコワモテぶりを取り上げ騒いでいる。

傲慢にもみえる中国政府の強気な態度は、決して外圧に屈しない「強い中国」を国民に広くアピールしなければならない、メンツをかけた国内事情でもあるのだろう。

今回の事件で分かったことがある。あえて前向きにとらえれば、蜜月と思われていた日中関係も、平和ということばも、ある出来事でいとも簡単に壊れる、ということだ。

日中の関係において「なかよし」の度が過ぎると、それにあらがう人々が、必ず存在するということでもある。
とはいっても、どんなにゴタゴタしようが、引越しできるわけでもなく、隣国の存在を無視できるものでもない。それをハラにすえたうえで、隣国中国と向かい合うということだろう。ダメなものはダメといえばよい。

今回、尖閣事件の直後、仕事関連のイベントで上海にいた。

会場は、人通りの多い屋外にあり、当局の命令で大事をとって大部分が撤去となった。

幸か不幸か、ぼくらが担当する鹿児島ブースは、目立つ場所になかったせいか、撤去の指示もなく会期を終えた。(※緊張感などまったくない。この事件の中、日本のイベントを支えてくれた中国人スタッフにはそれがあったかも知れない…。たまたま別会場で開かれていた、「日本消費品展」を訪ねると、入場料を払ってまで入場した中国人観客で、足の踏み場もないくらい溢れかえっていた。)

しかし尖閣事件から派生したイベントの中止という事実はズームインされ、現場の空気感を飛び越えて、報じられていく。

次に、日本のメディアの過熱ぶりが、中国のメディアに乗り中国政府の強気のコメントとともに報じられ、中国の一般庶民に伝えられていく。

またこのコワモテの報道を日本が報道する。報道が報道を報道するという連鎖がはじまる。
ぼくはデザイナーだから、制作の現場も制作の苦労も熟知しているが、刺激的な映像や言葉は視聴者をひきつけ、ストーリーになりやすい。

中国でも日本でも、一般庶民の大多数は、切り取られた映像やコメンテーターの言葉から、出来事をイメージしていく。

とくに中国では報道の内容がほぼ、一元化されているので、やっかいだ。(※最近の日本のメディアも似たようなものだが)

とにもかくにも、日本と中国の間で時に始まるゴタゴタで、何が一番嫌かというと、日中両国ともに親分たちの都合による政治とみごとにリンクしているということだ。

それは、政治と関係のないところで普通に生活している日中の一般庶民が、いやおうなく政治の渦に巻き込まれることである。風説により、気がつけば良好だった関係が、いとも簡単に壊されていることである。
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by ogawakeiichi | 2010-10-01 15:46 | 南日本新聞コラム
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