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彩遊記

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分母のトレース

日々に忙殺されがち。久しぶりの分母のトレース。。。。

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★日本の起点は九州にあった。
川筋、玄洋社、阿蘇山
邪馬台国、高千穂の天孫降臨。

★九州は負の宿命
西郷隆盛、横井楠南、

★グローバルキャピタルが破綻し、次に日本が向かうべきは、アジア。
そして九州はアジアの玄関。

★道州制には、中央からの地方分権と、地方からの地方主権がある。

★九州だけのGDPを考えると、世界で17位。ヨーロッパ諸国と同じ。
モデルのデンマークやノルウェーといった北欧よりは上。

★九州という言葉は、もともと世界の全て、世界モデルを意味している。

★九州の四つの軸。
1) 東アジアとの一蓮托生としての九州
2) 地質学的、火山のある、台風の通り道としての九州
3) 人麻呂にも読まれた遠の帝、大和朝廷から遠く心のルーツとしての九州
4) 南蛮文化の需要を始め、グローバル文化ミックスとしての九州

★日本人の記憶、集合的記憶(コレクティブブレイン)の底にある九州

★大友宗麟と出島、国東半島の磨崖仏、島津薩摩を重ね、関係づけて考える。

★「九州同舟」を考えるに、高千穂神楽にヒントがある。
ここには日本がどうしても忘れてはならない神と繋がる仕掛け。
仕組み、カタチ、デザインがある。

★日本には三つの庭がある。
市庭(イチニワ)市場、
斎庭(イツキニワ)裁判所
神庭(コウニワ)神様

★庭を通じて、内(ウチ)と外(ソト)を連絡しあっているのが日本。

★日本の神々は、外来魂。マレビト、客神→ゲスト。西洋の神は、主→ホスト。

★内の中に、外がある。その間に、注連(シメ)を張る。

★神話は国体主義ではない。多様に、九州に存在している

★メディアとしての、代(シロ)が必要になる

★神の代わり、榊が依代(ヨリシロ)となり、
屋代(ヤシロ)ができ、田植えには苗代(ナワシロ)が必要。

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と、しっかり母系にフックをかけておこう。。

追加

Mの染み入る言霊(メッセージ)を発見・・・

「かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと褒められた日本的経営のキーワードは、実はアメリカによるものでした。カイゼンしかり、終身雇用しかり。しかしそれは、日本企業の本質的な力とはズレたものだった。本当の日本の価値は、別のところにこそあった」

 しかもその後、アメリカが日本に押しつけてきたのは、グローバルルールに基づく日本異端論だった。

「日本は自分たちの言葉で日本を語ることができないまま、グローバリズムの荒波にもまれてしまった。政治も経済も同じです。だから日本は今、ひどく自信を失っている。日本的なものは効率化の名のもとに排除され、リーダーたちにも伝えられてこなかった」

「日本は、間を極めてうまく使ってきた民族でした。社会や人との間をうまくコントロールする技術や習慣、文化がたくさんあった。日本は間の本質がわかっていた。だからこそ、世界でも稀な国が作れた。 例えば、昔の家にはなぜ軒や庇や縁側があったのか。軒や庇や縁側は、必要な間だった。その意味をしっかり理解した上で、今の日本企業は、会社の内と外の間に軒や庇や縁側をどう作るのか」

伝統に潜む力は、文化芸術にとどまらない。実はそれは、ビジネスにも密接に関わっていると気づくことが必要だ。

「イタリアの優れた靴職人は、みなダンテを読んでいる。ダンテのどの章が好きかということと、靴を作ることは密接に関係している。でも、日本人は、源氏物語や徒然草のここが好きだ、という思いと、日常生活やビジネスとは関係がない社会を作ってしまった」

ものを見るための「鍵と鍵穴」を、埋め込んでいく。 日本的なるものの中には、世界に通用する普遍性を十分に持ちうる方法が、まだまだたくさん潜んでいる、 さらにそこには、「教える技術」も加えられる。

「何を伏せ、何を空けるか。物事を学ぶときには、そういうことが大事。例えば、テーブルに置かれた茶碗をただ見ていても、どんな模様だったか覚えられない。しかし、一度さっと下に隠した上で、どんな模様でしたか、と聞かれたら、どうでしょうか。伏せて空いた部分を作っておくことで、そこに意識が向かう。 ぐっと理解力は高まるんです。また、自分の身体で体感することも大切。実際に見聞きしたり、身体を動かして初めて気づくことが多いからです」



「ただ、いつ役に立つかわかりませんが、その人の中に鍵と鍵穴を埋め込んでいくことが大きな意味を持ってくる。人間性や世界観の厚みが問われる。そのために、ものの見方の訓練を積み重ねる必要だ」

「曖昧さや矛盾をたくさん内包しているのが、日本なんです。日本語にしても、"けっこう"、という言葉にはgoodとnoの両方の意味があるでしょう。"かげん"という言葉も、文脈次第でポジティブ、ネガティブ両方に使われる。文脈を失うと単語として成立しない言葉があるなんて、言語としては矛盾している。

でも、だからこそ日本は複雑なコミュニケーションを実現させてきた。21世紀の社会哲学は、コンフリクトや矛盾が重要なテーマになります。日本的なるものには、大きなチャンスがあると思っています」

松岡正剛
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/522

 
by ogawakeiichi | 2010-10-30 10:21 | 只記録
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