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彩遊記

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徐福伝説

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2月2日は旧暦の正月の前夜である大晦日だ。大陸では半端じやない爆竹が街中に鳴り響く。

日中友好協会の方々とともに、鹿児島でも海を越えてやってきた中国からの留学生百人を越えるメンバーが集い、餃子をつくり、カラオケを歌い『新年快楽』を祝った。

歴史を振り返れば、本土最南端に位置する鹿児島は、地理的な特徴もあって、日本の窓口として古くからさかんに大陸との交流が行われてきた。

いまでは押しも押されぬ鹿児島ブランドとなったさつまいもや黒豚も大陸から沖縄経由でやってきた。

鑑真和上は5度目のチャレンジでやっと坊津へと着いた。

とりわけ日中の歴史ロマンをくすぐる人物もいる。

徐福(徐市)伝説って聞いたことがありますか?

それは、いまから約2200年前、中国は万里の長城を築いた秦の始皇帝の時代、不老長寿の薬草を求め、多くの童男童女、五穀の種、技術者を乗せ蓬莱の国を求めて船出しながらも、忽然といなくなった徐福にまつわる話である。

徐福は長い間中国でも伝説上の人物だった。しかし,近年、彼の生まれた村がみつかり,その村には現在も徐福の子孫が住んでいることがわかったのだ。
そもそも徐福(徐市)を実在の人物とすれば、一行はいったいどこへ行ってしまったのか?

彼の伝説は日本各地に存在するのだが、どこにたどり着き,どこに居住したのかは、だれも知らない。

これは日中の歴史家を悩ます東アジアの大きな謎でもあった。

ところが、どうやら徐福一行は、いちき串木野の照島海岸に上陸しているらしい・・・のだ!?

ロマンを膨らませば、照島海岸には始皇帝の秦王朝、秦から命名したかのような、『秦波止』という場所があるが、そこは、徐福が上陸した場所ではないか?

徐福は、またの名を“徐市”というが、いちき串木野の“市来”は市が来たに由来するのでは?との話さえある。

さらにもうひとつ、照島海岸に上陸した一行は、荘厳なパワーを秘めた山を見つけ、山頂で、天の神と対話する「封禅」という儀式をおこない、徐福が頭にかぶっていた冠をその山に収めたという。 それが、いちき串木野のシンボルにもなっている『霊峰冠岳』である。

ふむふむ。そこまで揃うと、そうなると、ぼぼ、徐福ロマンは、伝説から実在へと解き明かされた気分になってくる。

当時のハイテク頭脳集団徐福一行の思想や技術は、修験道や密教のなか流れこみ、受け継がれ、彼らのもつ技術は、串木野に金鉱脈があることも、地形を一見しただけで分かっていたのかも知れない。

現在、修行や信仰の山である冠岳には、日本で一番大きな徐福像が西の海に向かって立っている。最近、近くに温泉もできた。

周囲の九州新幹線全線開通の喧騒を離れ、静かなパワースポット巡りもよさそうである。
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by ogawakeiichi | 2011-02-05 10:01 | 南日本新聞コラム
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