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彩遊記

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新華社の記事に涙する

新华网日本宫城县女川町3月16日电
大灾来时有大爱——宫城县女川町百名中国研修生受助生还

新华社记者马杰 刘华

“要不是这些当地人的帮助,我们早就没了!”来自中国大连的研修生衣亚男和同伴们在宫城县女川町含着泪水感激道。

女川町约一万人口,一半左右至今下落不明,记者在这里看到,城镇一片废墟,海岸边堆放着几具被海浪冲上来的遗体。一辆日本国营列车被海啸拆成两截,拍打在离海岸轨道几十米以外的山边。在这样一座受灾惨烈的小镇,近百名中国研修生无一遇难,而很多人能够逃生,是因为身边有给予帮助的当地人。

灾难发生时,地动山摇,佐藤水产株式会社的20名中国研修生逃到宿舍附近一处地势较高的地方,不一会儿,公司专务佐藤充跑过来,喊着“海啸来了”,随后带着她们跑到更高处的神社避难。安顿好研修生后,佐藤充又冲回宿舍楼,试图找寻妻女。但宿舍楼很快被海啸淹没,佐藤充再也没有跑出来。

“我们看到他被逼得无路,在房顶上左跑右跑,最后还是被卷到水里。一开始还扑腾了两下,很快人就不见了,”衣亚男哽咽着说。研修生张军燕用相机拍摄下了整个过程,视频里,女孩们尖叫着、哭喊着“快跑啊”,却只能看着救命恩人佐藤充被海啸无情吞噬。张军燕说,佐藤充的妻女到现在也下落不明。

灾难发生当晚,大雪严寒,研修生们无处可去。佐藤充的哥哥、佐藤水产社长佐藤仁不顾自己家被冲走的悲伤,一晚上都在找山上的朋友借房子,暂时将研修生们安置进去。平时负责佐藤水产研修生管理的杜华说:“灾害发生第二天,佐藤仁见到我的第一句话就是:‘杜华,20个人一个都没少!’”

冈青株式会社的社长和部长也没有忘记中国研修生,他们第一时间开车将5名研修生送到附近山上。“当晚,社长给我们找了一间山顶的温泉旅馆避难。那时,他们连自己的孩子都还没找到,”来自大连的曹晶说,等情况稳定后,她们又被转移到当地最大的避难所,和几十名中国同胞团聚。

在避难所,研修生们一日可以保证有两到三餐。随着受灾信息被外界更多人知道,赈灾车辆越来越多,补给也逐渐充足。“我实在不敢想象如果没有这些人的帮助我们会怎样,”曹晶说,在这场与时间赛跑的逃生中,这些当地人对每一个生命的同等尊重,将让得到救助的研修生感动一生。

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「地元の人々の助けがなければ、私たちはとっくに死んでいたでしょう。」

中国・大連出身の研修生・衣亜男さんとその仲間は宮城県女川町で目に涙をためながらこう語った。

女川町はこのたびの地震で、人口約1万人のうち半数以上が今も行方不明となっている。町内は一面の廃墟と化し、海岸線にはいくつもの遺体が打ち寄せられた。鉄道車両は津波で真っ二つとなり、レールから数十メートル離れた山に打ち付けられた。これほど深刻な被害を受けた女川町で、約百人の中国人研修生が難を逃れることができた。多くの人は地元の人の助けにより九死に一生を得たという。

地震発生時、地面が激しく揺れた。佐藤水産株式会社の中国人研修生20人は宿舎付近の高台に避難した。まもなく、同社の佐藤充専務が「津波が来たぞ!」と叫びながら走ってきて、彼女たちを連れてさらに高い場所にある神社へと避難した。研修生を避難させた後、佐藤専務は妻と娘を探すため宿舎に戻った。しかし、宿舎はまもなく津波に呑まれ、佐藤専務はそれっきり戻ることは無かったという。

衣亜男さんは涙に咽びながら「佐藤専務は逃げ道がなくなり、屋上で右往左往しているうちに水に巻き込まれてしまいました。何度かは持ちこたえましたが、すぐに見えなくなってしまったのです」と語った。研修生の張軍燕さんがデジタルカメラで撮影した映像には、命の恩人である佐藤さんが津波に呑まれるのを、「早く逃げて!」と泣き叫びながら見守るしかない女の子たちの姿が記録されていた。張軍燕さんによると、佐藤専務の妻と娘もまだ行方不明のままだという。

災害当日の夜は大雪となり、研修生たちは行き場が無かった。佐藤専務の兄、佐藤水産の佐藤仁社長は家族を失った悲しみに負けず、山の上に住む友人の家を一晩中かけて探し、そこに研究生を避難させてくれた。佐藤水産の研修生管理を担当する杜華さんは「地震の翌日、佐藤社長は私を見て『杜華、20人全員助かったぞ!』と言いました」と述べる。

岡青株式会社の社長と部長も中国人研修生を助けてくれたという。彼らは地震後すぐに車で5人の研修生を付近の山に運んだ。大連出身の曹晶さんは「その夜、社長は私たちを山頂の温泉旅館に避難させてくれました。彼らはその時、自分のお子さんすら見つかっていなかったのです」と述べる。状況が安定した後、彼女たちは現地で最大の避難所に連れて行かれ、数十人の中国人の仲間と合流したという。

避難所では、彼らは1日に2食から3食の食事が保証されている。情報が広まるに伴い、ますます多くの救援車両が到着し、補給も次第に足りてきた。

曹晶さんは「皆さんの助けが無ければ私たちは一体どうなっていたことか。想像することもできません」と述べる。時間との戦いとなる避難の中、地元の人々は全ての命を同様に扱い、尊重してくれた。研修生たちはこのことを一生忘れないだろう。
by ogawakeiichi | 2011-03-17 09:25 | 中国一般情報
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