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彩遊記

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思うこと

巨大地震と巨大津波、そして原発事故が起こってから3週間がたった。
 
突然やってきた不条理な国難に、気がつけばテレビの前で固まって動けなくなっていた。頭の中を妄想があれやこれやと駆け巡り、熱っぽい体調が続いた。
 
振り返ればこんな気分は過去にもあった。
 
他国での出来事であり、多くの日本人の記憶から忘れ去られていると思うが、2003年、中国南部で発生した新型肺炎(SARS)が大陸で猛威を振るったときの事だ。
 
新型肺炎が世界中を震撼させたとき、その発生源にごくごく近い華南の桂林で暮らしていた。感染拡大を防ぐため、交通機関はストップ。もちろん日本と中国を結ぶ航空機も止まった。ひたひたと忍びよる新型肺炎への不安感。
 
仕事先の学校内での軟禁生活を余儀なくされたが、そんな中、中国人同僚たちや、学校というコミュニティーが支えになった。
 
異国ではあったものの、新型肺炎騒動を真っただ中で経験したのに対し、おなじ日本国内とはいえ、ふと我にかえればお茶を片手に唖然とテレビを見ている傍観者の自分がいる。
 
どうしようもない、このふわふわした感じに対する罪悪感の中で、テレビの画面やインターネットからくるりと背を向けると周囲の世界は淡々といつものように動いている。
 
情報から背を向けたところにある日常と、一方では日本という国土が限られた人々に럀委랙ゆだ랈ねられている祈るような現実との間で、感情のバランスがうまくとれなくなっているのかもしれない。
 
北京で暮らす娘には、中国の友人たちが日本へのお見舞いや、わが家の消息を尋ねる電話、メールが相次いでいるらしい。

大学が集まる地域では災害後すぐに、日本への義援金の活動が始まったという。
 
ぼくの中国の友人は原発の1件に慌てふためき、受け入れの準備はできていますと電話をよこした。

どうやら海外での報道は日本の報道より深刻らしい。
 
鹿児島市内で留学生寮の世話役をする息子は、母国から帰国勧告を受けたヨーロッパからの留学生が、冷蔵庫の中もそのままにして帰国したと、ぼやいていた。
 
翻って中国での新型肺炎騒動のときも、危機管理の面から中国在住外国人の多くが帰国勧告を受けて母国へ帰った。海外からみると鹿児島も東日本も日本には違いないのだが…。
 
中国や英文のサイトをのぞいてみると、ショッキングな写真や慟哭なしではいられない写真が並び、真実ともデマともつかぬ深刻な内容が掲載されている。
 
これらの記事が風評被害を生むのか、それとも隠匿被害から逃れられるのかは、ぼくにはわからない。
 
ただ、人間の一生で、大災害や事故などの不条理は、常に不確実の海を漂い、不確実な不条理は遥か昔から途切れることなく続いてきたのだ。ぼくらはこの不条理に耐え忍び、前へ進むしかないのだろう。
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by ogawakeiichi | 2011-04-02 08:21 | 南日本新聞コラム
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