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彩遊記

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新年快楽

新年快楽=2月2日南日本新聞掲載=

1月29日。旧暦の正月、春節を迎えた。この原稿を書いている桂林の部屋の下では、子供たちが投げる爆竹がビュンビュン飛び交っている。悪童たちは、見知らぬ人の足元に、そしらぬふりをして投げてみたり、道路向こうの家に向かってバンバン、ドーンとまるで戦闘状態だ。水平打ちだけはやめろと注意したのに聞きゃしない。水墨画の師匠の昔話では、春節は花火から身を守るため、傘をさして水中眼鏡をかけて歩いていたという。
 
話は前後するが、旧暦の大晦日。夕方5時を過ぎる頃から、通りを走る車の流れが少なくなり、街を歩く人影もまばらになった。一族そろっての「年夜飯」と呼ばれる晩餐がはじまる。およそ華人のいるところではこの時間に家族が集まり、食事をすることは非常に大切にされている。僕のほうは、休み期間中バイトで学費を稼ぐ学生や、はるか新彊ウイグルから来て、簡単に帰省できない学生たちと、学校が準備してくれた年越の宴に参加する。帰省できない学生たちの表情は心なし寂しそうだ。
 
もう待ちきれませんとばかり、大晦日の昼すぎから、バーン、バーンと散発的に鳴り始めた爆竹は、「年夜飯」が終わるころから、バリバリバリと連続した音に変わりはじめた。駐車してある車のセキュリティーが、爆竹の音に反応し、ウインウインとけたたましく鳴り響く。人通りの少なくなった街中は、火薬のにおいと、硝煙に包まれた不思議な世界だ。
 
年越しに、爆竹をバンバン鳴らすのは悪魔を払い、福を歓迎する意味がある。同僚の中には、よくないことが続くと「爆竹を鳴らすのが足らなかったかなぁ?」とぼやくヤツもいるくらいだから、爆竹の音は、彼らの生活にしっかりと組み込まれているみたいだ。しかしこの爆竹、毎年のことだが、粗悪品による暴発や火事が多発して、主な都市では、本当は禁止されている。「新年気分が沸かない」との多数の声に押し切られ、“表向きでの禁止”から、13年ぶり“お墨付での解禁”とあいなった。

夜11時半、日没から鳴り響いていた花火と爆竹が“年越の瞬間”に向け小休止。僕は、一年で最大のショーを見るために、とっておきの場所に移動することにする。以前住んでいたことのある勝手知った17階の屋上だ。
 
11時50分頃から、再び爆竹と花火の音は激しくなる。夕方とは違うあまりの音の激しさに、形容しがたい不思議な感覚が襲ってくる。桂林の街全体が、半端じゃない花火と爆竹の音に包まれた。アパートの各ベランダで爆竹が裂烈し、ビルの屋上からは大輪の花火がバンバン打ち上がる。その花火の大きさ量ともに半端じゃない。きっとこの瞬間のために、散財したのであろう。ちなみにベランダでの使用は禁止なのだが、そんなことは、お構いなしだ。 
 
夜12時、いよいよ春節の瞬間を迎えた。音が激しすぎて耳が麻痺し、何にも聞こえてないような感覚になる。隣の屋上でも、目の前でも、山の上でもドンドン打ち上がる。スケールの凄さは鳥肌モノだ。思わず、参りましたと呟いていた。
 
もっとも、これだけバンバンやってくれると、嫌が応でもストレス発散。すっきり、くっきり新しい年を迎えられた気分だ。新年快楽!チャイナは新年を迎えた。
      
by ogawakeiichi | 2011-06-23 09:43 | 南日本新聞コラム
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