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彩遊記

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孔子の正名論

昨夜、ある寄り合いでアヤシイ小川さんとアヤシイを枕詞に付けられ紹介された。先日も、ミニミニ講演をした際の肩書きに、ナゾの男と枕詞がつけられていた。

私的にはデザイナーというかりそめの肩書きをときに名刺に記載はしているのだが、これが前面に出すぎると、昨今、私的には避けたい広告デザイナーに受け止められやすいので都合が悪い。←モノをつくり、コトの仕組みをつくり、人と人を繋ぐすべてをデザインとして捉え動いているので◯◯デザイナーと限定されるのも好きじゃない。

鹿児島大学の講師の肩書きは、世間様には受けがいいのだが、講義時間的に腰をどかんと下ろせてやってないので、この肩書も、本人的には座りが悪い。

一般的には肩書きのない名刺を使っていたのだが、世間はなかなか許してくれない。

肩書きのないのは、ヤクザか政治家みたいですねとよく言われる。

なぜ、日本では肩書きがないと不安なのだろう。

どうも、それは儒学の影響じゃあないだろうか。。。儒学の本家、中国での名刺に記載してある肩書きなんで凄まじい。勝手にでっち上げたようなものまがりだ。←なぜ、こんなこと言えるかというと、同僚中国人の多くがそうだった。

孔子は「必ずや名を正さんか」と言い、荘子は「われ、こころみに汝のために妄言せん」と言った。

「名、正しからざれば、言、順わず。言、順わざれば、事、成らず。事、成らざれば、礼楽、興らず」だった。
 
このように孔子が考えたのは、もともと中国では「名」は「実」にこそ合致することによってのみ力を発揮すると考えられていたからである。

「名を正す」とは「名と実の合体」の如何を問うことでなければならなかった。

つまり、「肩書き」に、実体を合致させることが、孔子の言う正名論なのだ。

パラドックス的に言えば「名」というもの、たとえば「肩書き」というものがが儒教社会にとっていかに重要かということが、ココから垣間見えてくる。だから肩書きがないと不安なんだろうな。

「名を正せる」かどうかはおいといて・・
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by ogawakeiichi | 2011-10-09 15:29 | 只記録
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