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彩遊記

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開発手法

f0084105_7452757.jpgいちき串木野の〇〇委員会でちょっとしたデザイン思考でのフィールドワークをやり、川内ロータリークラブでの卓話に呼ばれ、マルカガーデンズでのJICA主催の写真展、現場の仕切を終えた。類と個の領域を横超した数日だった。8月を最後に中国での舞台がないのはちょいと寂しい。

多様なワークのそれそれには、対象についての観察からたくさんの仮留をつくり、瞬時に事態の鍵穴と鍵を合わせていくのだが、そのワザをつくりだすには、対象への文化人類学的視点が欠かせない。

この「開発調査手法の革命と再生」は開発ワーカーの一人者ロバート・チェンバースによる開発方法論である。

実は文化人類学と開発学は方法論はほぼおなじなのだが、落とし所の違いがあってあまり仲が好いとも思えない。

文化人類学はそのままそっと観察記述。開発学は貧しさからの脱却だ。

「街づくり」と「開発学」も似てはいるものの。これもまた資本の具合が全く違う。「街づくり」がどちらかといえばMoreの商の香り香ばしいのに対し、開発学は貧しい人々のリアリティーをどうすべきかからスタートしている。

しかし「街づくり」にも、事始めには文化人類学的視点、開発学的視点のフィールドの観察から立ち上げることが必要だ。まずは、対象を観察によってキーワードを導き、リアリティーを見出す。普段みすごされているモノを観察する。この構えで、全体を俯瞰しながらアブダクションしていくのだ。

本来のリアリティーを発見しようと思うのならば、場所による偏り、季節による偏り、外交辞令による偏り、専門分野の偏り、コンプライアンスによる偏りを排しなければならない。まして、時間軸のなかで刻々と変化しに対応できる揺らぎの視点で観察しなければならない。

また専門家といわれる人たちの多くが、世界本来の構造システムである複雑性と多様性に気づかない。それは現地訪問の偏り、短期的な視野、そして単なる観察の欠如が原因だ。それでは最適解に近づくための類比も類推も類似もできない。

シャーロック・ホームズはワトソン博士に「…君は見ているのに観察していない」いった。

こうした認識の偏りは、場やシステムの複雑性、多様性など読み取れず、ありきたりのどこを切ってもおんなじの金太郎飴の結果を生み出す。

上辺のさらっとした現地視察では、場所、プロジェクト、相手、季節、など、柔軟性をもった農民の方が、科学者よりもずっとくわしい。しかしまだ、フィールドを視察するのはイイほうで、なかにはまったくの観察なしもある。←先日もこれにやられた。さっさと現場を去ってあとはデザイナーが尻拭い(笑

そこでは。
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●目に映るものと映らないもの。モノや活動は目に見えるが、関係は目に見えない。
●傾向ではなく瞬間描写。その瞬間のことはわかっても、その目的の重要であることを見落としている。
●聞こうとしないこと(自分が話しばかりしている)
●誤解や偏見(知ったかぶりのベテランが、自分たち独自の意図を投影して解釈する)などがある。
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が、おこっているのだ。

必要なことは、
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●時間をかけ厳密なサンプリング、正式な質問票という暴挙は行わない
●偏りを意識して埋め合わせる。
●重要人物になろうとしない。
●耳を傾けて学ぶ、対象者の立場になって世界を見る。
●同じ問題を異なる手法で調べる。
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ということだ。

これから先はチャールズ・パースのいうアブダクションのワザとともに、常に試し、常に改革し、常に学び直すことが必要になってくる。。

かってできない、わからない、と思われたいたことが、できるようになる、わかるようになるのに気づきがはじまる。
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by ogawakeiichi | 2011-10-22 07:46
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