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彩遊記

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弥勒菩薩

はじめて韓国・ソウルを訪れたとき、私の眼に焼き付いたものがあった。  

国立中央博物館にある弥勒菩薩像だ。

特別展示室には、淡い光の中、片足を曲げてもう一方の足の上にのせた半跏の姿勢で、手の指を頬に当てて考えを巡らす思惟のポーズをとった半跏思惟(はんかしい)と呼ばれる姿があった。

選びぬかれた気品漂うこの大韓民国・国宝を、美大生とおぼしき二人の女性が、とり憑かれたかのように、じっと見つめていた。   

静粛が漂う薄らあかりのなか「アルカイク・スマイル」とよばれている表情の美に魅了されていたのかもしれない。

ひるがえって、京都にある最古の寺院、広隆寺には、ソウルにある弥勒菩薩とほとんどおなじ姿をした日本の国宝第一号でもある弥勒菩薩像がある。

奈良時代、朝鮮半島から海峡を越えてきた仏師が日本でつくったものなのか、もしくは、韓国から持ち込まれたものなのかはわからない。

弥勒菩薩は、仏陀入滅後、56億7千万年後、人々を救うため末法の世に降りてくると言われている。

一方、朝鮮半島にあった新羅の、イケメン軍団「花郎(ファラン)」は、弥勒を信仰することで、弥勒の住む世界へ往生できると信じていた。

弥勒菩薩は様々に表情を変え、沖縄ではミルク神とよばれ、中国では布袋様にもなった。

その起源をたどれば、古代インドの「マイトレーヤ」。そのまた先には、中央アジアにはじまった「ミトラ神」だという説までたどり着く。

ミトラ、マイトレーヤ、ミロク。なんとなく発音が似ている。

アジアの地図を九〇度時計回りにすると、日本は一番下に位置するパチンコ台の受け皿のようだ。    

古来よりユーラシア大陸の文物はシルクロードから、東シナ海を渡って、私たちの住む日本列島に流れ込んだ。

在来の神様と、海を越えてやってきた神様が融合してきた。

身近な例では、薩摩半島の南西に位置する野間岳の山頂には、かって中国生まれの「娘媽(ろうま)神」よばれる航海の神様と、在来の日本の神様が祀られていた。

大陸を出た船は、まず野間岳を目指してきたという。きっと、野間岳のノマは「娘媽(ろうま)」からきたのかも知れない。

日本は明治維新以降、西洋文明を享受して物質文明を謳歌してきた。

しかしそれは3.11の大震災以来、どうも、行き詰まりを見せている。
現在、日本もアジアも世界までもが歴史的な転換点にさしかかっている。

悠久の歴史という時間のなかで醸造されてきた日本の感受性を取り戻すべく、私たちはアジアの

深層を流れてきた何かから学び直してもいいのかも知れない。

弥勒菩薩や娘媽などの神様が共有した東シナ海の道、千年を越えて携えてきた時の流れに、この国の未来へのヒントかあるのではないかと、そんな気がする。

野間岳の山頂にのぼってみると、神様たちの面影はなかったが、東シナ海を航行する大小多くの船が眼下にみえた。
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by ogawakeiichi | 2011-12-03 21:49 | 南日本新聞コラム
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