ブログトップ

彩遊記

ogawakeiic.exblog.jp

多文化共生の最先端・鹿児島

鹿児島の国際交流を牽引されてきた小林基起先生が鹿児島大学を退官された。

日中関係のスペシャリストで、2001年に始まった他に類を見ないといわれる多国籍合宿と呼ばれる国際交流イベントの仕掛け人でもある。

多国籍合宿とは、約30カ国様々な国の人々が、同じ屋根の下に集い、一泊二日の合宿を行うもので、毎回400人を越える参加者が集う。

もともと留学生とのコミュニケーションから始まった合宿は、回数を重ねるごとに、参加人数が増えていき、地域住民、留学生、日本人学生が、それぞれ3分の1ずつになるよう参加をはかり、『多文化共生社会構築への挑戦』という大きなテーマに取り組むことになる。

多文化共生とは、「様々な価値観をもった人々が共に暮す社会」ということだ。簡単そうな言葉とは裏腹に現実には大きな壁が立ちはだかる。

一見お花畑的な思考に見えがちだが、同じ情報と価値観をもつ大多数のなかに、それとは異なる人間がひとり放り込まれる体験をしてみると、わかりやすい。

これは私の体験だが、2005年、私は中国で生活していた。小泉元首相の靖国参拝をきっかけに日中関係が急激に悪化、連日の反日報道によって私の周囲も雰囲気が変わっていった。

その一方、日本人である私を一番気遣ってくれたのも中国人だ。

もちろんそれは、日本に住む中国人や、外国人にとっても同じことが言えるのだ。

私たちはごく例外を除き、誕生と同時に、男と女、国籍、と言うように自ら選んだ訳でもないに分類された運命を背負っている。

合宿の参加者は皮膚の色、年齢、宗教、参加目的の相違など、参加者にとっても運営スタッフにとっても、日常生活とはかけ離れた組み合わせばかりだ。

しかしこのリアルな体験を通し、一人ひとりが『同じでありながら違う』ということ気づかされる。

例えば、同じ人間なのに、日本人は〇〇、中国人は〇〇・・というレッテルを貼りたがる。もちろんその分類を否定するわけではない。しかし、本来違うのは、個人一人ひとりなのだ。

本土最南端に位置するここ鹿児島は、中国や東南アジアに近い地理的条件から、古来より朝鮮半島・中国や東南アジアとの交流が盛んであった。

阿久根の文旦は、中国人船長、謝文旦がもたらした。薩摩川内には大陸との交流を匂わす唐浜がある。いちき串木野には、徐福渡来伝承があり、美山には沈寿官氏をはじめとする朝鮮陶工の末裔が住む。

歴史を振り返れば、鹿児島は地理的にも歴史的にも異文化を受けいれ融合させてきた多文化共生の最先端でもあった。

小林先生の最終講義では、多国籍合宿や留学生教育の話と共に、専門である中国語と言語学の立場から、鹿児島弁と、古代中国語に共通する興味深い関係(発音)を示され、多文化共生とともに大きな課題を言い残されて講義を終わった。
[PR]
by ogawakeiichi | 2012-04-04 12:35
<< 自己の身体性について いのちを守る300キロのもりづくり >>