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彩遊記

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旅で多様な価値を知る

縁あって二十代前半に訪れた海外の街や風景を描いたスケッチブックを取り出した。

ベイズリー文様のインド更紗を貼りつけた手作りの表紙は、一緒に旅をした連れ合いがつくってくれたものだ。

表紙を広げると、紅茶色に変質した紙に描かれたインドやネパールの煤けた景色がある。

人物は風景の隅っこに描かれ、主役は景色、脇役は家々で、そこに人々が溶けこむように描かれているものが多い。

そのなかでも珍しく街の雑踏を描いたものがあった。

インドの中心部ベナレスの街だ。まだ、海外用のガイドブックのなかった時代だ。唯一頼りになったのが、「アジアを歩く」という本だった。

ここに書かれた一節にガツン!とやられた。
「激烈なる大地に対抗するために生まれた、激烈なる宗教の聖地といえば、激烈なることは当然であろう」。この言葉に惹かれてこの街を訪ねることになる。

はじめての場所は、いつも新鮮な刺激をもたらしてくれる。とくに異国はインスピレーションの宝庫である。

わたしの旅へのきっかけも、興味の対象もひょんなことに始まり、ひょんなことで変化してきた。

高校二年の冬、体調を崩し診察してみると難病に冒されていた。

病状は悪化するばかりで一時は生きるのさえ辛かった。

特効薬はなく、治療法といえば、絶対安静だけ。 

ある日のこと、動けないからだで、病室の天井を見ていると、天井のシミや凹凸が風景にかわり、時間とともに刻々と変化していった。

冷静に考えれば、わたしの脳が、太陽光線によって変わる天井を、都合よく風景のイメージに変えていただけのことだろう。

生命への希望がそうさせたのかもしれない。

入院は一年以上続き、結局留年することになる。多感な一七歳の出来事だった。

はじめて旅に出たのは、上野駅から青森を経由して青函連絡船に乗って行った北海道だ。病室で見た幻覚が北海道に近かったような気がしたからだ。

以後、まだ見ぬ風景を求める旅がはじまった。日本を巡り、アジアを巡った。

興味の対象は風景から次第に、生活や文化や人間へと移っていく。

わたしたちとは違う価値の思考や生活文化に興味が湧いた。

中国の民のなかで十年を暮らしてみた。自分たちのいる場所が中心ではない。世界に中心などなく、世界は多様で多彩なことが腑に落ちた。

海外での生活を契機に「日本とはなにか」を考えるようになった。帰国後は、日本やアジアの歴史を振り返った。

その最中のことだ。震災と原発事故が母国・日本を襲った

私たちは今、どのような文明を選ぶのかの正念場にいる。

自分の身体を使って、日本とアジアを歩き、暮らした記憶から「母国・日本」をそろそろわたし自身の方法で、きちんと語る時期が来たのではとも思っている。
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by ogawakeiichi | 2012-06-02 13:43 | 南日本新聞コラム
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