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彩遊記

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中国の権力闘争

中国の権力闘争_f0084105_21392411.jpg●チャイナナインを描いた、遠藤誉さんのネット上の抜粋まとめ。

◆日本の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)が開催される。胡錦濤政権が取り仕切る最後の会議だ。1年後の今日は、次期政権の国家主席がこの全人代で選出される。国家主席の前提となる中国共産党中央委員会総書記のポストは開かれる第18回党大会で決定される。

◆中国は中国共産党が指導する国だと言われている。中枢に座っているのは「中国共産党中央委員会政治局常務委員」という「9人」の男たちだ。遠藤誉はこの「中国を動かす9人の男たち」を「チャイナ・ナイン」と名付けている。そこには外からは見えない「ブラックボックス」の世界があり、時には協力し合い、時には激しい論争や権力闘争を展開しながら中国の方向性を決めていく。

◆中国共産党重慶市委員会書記(中国共産党では書記がトップ)である薄熙来(はく・きらい)の右腕として敏腕を振るっていた王立軍(副市長・公安局長・公安局党委員会書記)が、四川省成都市にあるアメリカ領事館に逃げ込む事件があった。今、薄熙来率いる「毛沢東回帰型」の重慶市の重鎮である党幹部が、今となっては「敵国」ではないにせよ、アメリカ領事館に逃げるとは――。 いったい、いかなる政変が起きたのか――。

◆王立軍は公安畑の男。1982年から、重慶市に呼ばれる2008年6月まで26年間の長きにわてって、遼寧省の各地で公安関係の業務に携わってきた。「東北の虎」という異名を持ち人望も厚かった。 一方、薄熙来が遼寧省と関わっていたのは1984年から2004年と、これもまた長い。出会うには十分な時間があっただろう。

◆薄熙来は2007年末に重慶市書記(中国共産党重慶市委員会書記)になると、遼寧省 錦州市の公安局長になっていた王立軍を呼び寄せ、重慶市の副公安局長に就任させた。「東北の虎」、王立軍は、着任後間もない2008年7月10日から9月30日までのわずか80日間で3万2771件の刑事案件を摘発し、9527人を逮捕投獄したという。摘発された者は「暴力団」「マフィア」関係者ばかりではなく、数多くの民間企業の経営者や政府の人間も含まれていた。没収した金額は2700億元に上ると言われている

◆重慶市司法局長だった文強は、2009年8月7日に拘束され、2010年7月7日に死刑に処せられた。拘束から死刑までわずか11カ月である。罪は「暴力団とのつながり」。司法局長自身が暴力団から大金をもらい、裏でつながっていたとのこと。 その間、王立軍は公安局長に昇進している(2009年3月)。

◆2007年からチャイナ・ナインの1人として中国共産党中央紀律検査委員会(中紀委)の書記(トップ)をしている賀国強は、実は1999年から2002年まで重慶市の書記をしていた。したがって更迭・逮捕・死刑などを受けた重慶市政府役人や幹部の中には、賀国強が手塩にかけて育てた人材もいたはずである。

◆また2005年から2007年まで重慶市の書記をしていたのは、現在広東省の書記をしている汪洋だ。汪洋は胡錦濤国家主席に将来を強く期待されている団派(共青団派)の有望株。今年秋に開かれる第18回党大会においてチャイナ・ナイン入りすることが確実と見られている。

◆一般庶民の中には、今もなお「毛沢東万歳!」を叫んでいる者たちがいるのである。例えばウェブサイト「烏有之郷」はその一例だ。彼らは薄熙来の「唱紅」運動を後ろ盾として勢いづいている。そして「毛沢東」と「薄熙来」を一つにして「薄沢東」という新しい名前をつくり出し、毛沢東回帰への新たな動きを見せていた。毛沢東時代に数多くあった「毛沢東讃歌」と同じように「薄熙来讃歌」までネットに現れている。

◆薄熙来の追い落としを図る共産党幹部は、薄の腹心、王立軍に目をつけ汚職の証拠を突きつけた。薄との関係が悪化していた王は、薄と指導部の挟み撃ちに。進退窮まった王は、薄の罪状を暴く資料を持ち、米領事館に飛びこんだ。

◆3月5日に始まった全国人民代表大会(全人代)における胡錦濤の表情はすごかった。温家宝首相の政治活動報告を聞いている時の胡錦濤の顔は、まるで奥義を極めた武士のように威厳があり、見る者を圧倒した。国家最高指導者として10年間に及ぶ苦難を乗り越えてき者が持つ不動の信念がにじみ出ていた。その心の中では、3月15日の「薄熙来解任」に向けた決意が静かに固まっていたのだろうと、今にして思う。

◆日本のメディアは、「党」とあるので勘違いして、「薄熙来の一件は、胡錦濤率いる共青団(中国共産主義青年団)と習近平率いる太子党との間の権力抗争の表れだ」と報道している。 このような解釈をしたら、中国の政局は何も見えなくなってしまう。 序列9位の周永康と薄熙来による「打倒習近平」謀反説が浮上、2012年2月16日、アメリカ発の中文メディアは一斉にBill Gertzの記事を伝えた。 同氏は、「ワシントン・ポスト」や「自由灯台」などに寄稿しているジャーナリストだ。彼によれば、王立軍が成都市にあるアメリカ領事館に持ちこんだ資料の中に、「習近平打倒」に関する情報があったというのである。 つまり中国指導層のトップに上り詰めたいと思っていた重慶市元書記の薄熙来が、チャイナ・ナインの一人である周永康(党内序列9位)と謀って次期国家主席と目されている習近平を打倒しようと画策していたというのだ。

◆筆者は拙著『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』の266ページに、最終校閲ギリギリで、このネット情報を書き込んだ。だが、あくまでも「噂」として扱った。 チャイナ・ナインの動きをある程度認識している筆者としては「あり得ない」というのが最初の印象だったからだ。 しかしアメリカ発の「打倒習近平」謀反説は、その後、Bill Gertzの肉声がYou Tubeに載るなどしてますます盛んになってきた。2月23日以降、Bill Gertzが新たな文章を「自由灯台」(Free Beacon)に書いたとして、アメリカ発の中文ネット情報に数多く転載されるようになった。 その一つが「博訊」(アメリカ中文メディア)の情報である。そこにはBill Gertzが公開したという次の文章がある。

◆「王立軍は現在の中国の権力抗争に関する非常に貴重な情報を持っていた。それは周永康や薄熙来といった強硬派が習近平へのスムーズな権力移行を阻止しようと意図するものである、と政府関係者が言った」。つまり「薄熙来が周永康と謀って習近平政権へのスムーズな移行を阻止し、薄熙来が天下を取ろうという謀反」に関する情報だというのである。

◆2011年11月10日、胡錦濤国家主席がAPEC参加のため訪米したその日に、薄熙来が西南一帯の軍巨頭を集めて空前規模の軍事演習をしたことは客観的事実だ。中国政府の「新華網」もこれを伝えていた。この軍事演習は中国の7大軍区の一つである「成都軍区」のすべての地域の司令員が参加していた。 そして王立軍・元重慶市公安局長がアメリカ領事館から北京中央に引き渡されるその日に、薄熙来が重慶政府の幹部を引き連れて昆明(元)軍区に移動したのも客観的事実。中国大陸内のネット情報には今でも削除されずに残っている。

◆薄熙来の「(西南)軍事クーデター説」が浮上したのは、これら一連の客観的事実に基づいてのものだろう。そのため、2月21日から「大軍区司令員」という言葉が中文ネット空間で燃え上がったものと思う。ネットユーザーは「果たして誰が軍権を握るのか」に興味を持ったものと考えられる。

◆薄熙来が解任された3月15日には「胡温政権は10年間で最も良いことを最後の年になって、ようやくやった」という讃辞が中国国内のネットに溢れた。胡温政権とは、胡錦濤と温家宝と率いる政権という意味だ。

◆続いて浮上した周永康軍事クーデター説3月19日夜からは、今度は「周永康クーデターが胡温政権によって抑えられた」というネット情報が突如現れた。中国のツイッターに相当するマイクロ・ブログ「微博」(ウェイ・ブォー)では「周永康軍事政変(クーデター)」という言葉を含むつぶやきが爆発的に膨れ上がって(“周永康?事政?”成Google??‐?国聚焦)、中国当局が暫時「微博」を封鎖する事態にまで及んだ。

◆その間、3000余りのウェブサイトが閉鎖され、1065人のネットユーザーが逮捕されたと言われている(中国政府発表では16のウェブサイト封鎖と6人のネットユーザー逮捕)。 「周永康軍事クーデター説の真偽」に関して、筆者自身は「偽」であると、最初から思っている。それは前回も述べたとおりだ。ただ、「微博」の封鎖を解除した後も「胡錦濤が狙う次のターゲットは周永康になるのではないか」という観測が、中国情報通の間で大勢を占めていることに変わりはない。筆者も、その観測に関しては、やや肯定的だ。

◆注目すべきは薄熙来の妻である谷開来(グー・カイライ)が同時に刑事事件で逮捕されたことだ。
嫌疑は殺人罪。被害者はイギリス人のニール・ヘイウッド(Neil Heywood)氏。 2011年11月15日に重慶市のホテルで、遺体で発見された。これに関して薄熙来も関与していたらしい。薄熙来は中紀委から司法に回される時に、刑事事件でも逮捕されるかもしれない。 もし刑事事件で逮捕されることになれば、中共中央政治局委員による重大犯罪として中国建国以来、初めての事件となる。 「殺人に関わった」とされた者の中に薄熙来の名前はなかった。薄熙来は党籍剥奪程度で終わるかもしれない。司法に回されたとしても、殺人に関係する刑事事件で裁かれることはないだろう。

◆谷開来の「執行猶予2年付き死刑」という判決は、早くから予測されていた。これは文化大革命の混乱を増大させた罪で裁かれた毛沢東の妻・江青に対して下された判決に準じるものである。判決から2年経過したのちに、品行方正ならば死刑は実行されない。終身刑に切り替えておいて、十数年後に「病気療養」を口実に釈放されるという、中国独特のやり方だ。 中共中央では、一般に政治局委員以上の者の犯罪に対して死刑を執行することはない。その親族に対しても同様の措置を取る。

◆政治局委員が絡む場合の「中国の司法」は、チャイナ・ナインの「指導の下」に粛々と進められる。地方人民法院(地方裁判所)が安徽省だろうと雲南省だろうと吉林省だろうと、判決はまったく変わらない。このレベルの事件の「チャイナ・ジャッジ」の大原則だ。日本の常識で見ていると理解しにくいかもしれないが、これが中国なのである。 事件の陰にいた諜報のプロ、パウウェル卿

◆薄熙来の息子、薄瓜瓜の留学の後見人であるパウウェル卿は「諜報のプロ」である。しかし、彼の経歴が注目され、公に露わになったのは前回述べたようにごく最近のこと。薄熙来にとって、パウウェル卿はあくまでもサッチャー元首相やメージャー元首相の個人秘書であり、英中貿易協会の主席であったはずだ。パウウェル卿はオックスフォード大学の評議委員会の議長でもある。権威に疑いようはない。

◆パウウェル卿にもう一つの顔があったということに、薄熙来も中国も気づいていなかったに違いない。パウウェル卿は薄瓜瓜の後見人になる前の2000年から諜報会社Diligence-Global Business Intelligenceの顧問をしていたのだが、薄熙来がもしパウウェル卿のこの一面を知っていたら、すぐに関係を断っていただろう。中共中央政治局委員として、「諜報関係者」との接触は鬼門であることは常識中の常識だからだ。

◆しかしパウウェル卿は、中国という国にとって長いこと英雄のような存在だった。なんといっても彼は「2001年の中国のWTO加盟に多大な功績があった」ということで、中国では非常に高く評価されている人物なのだ。 中国では非常に高く評価されていたパウウェル卿の行動で代表的なのは、2011年5月12日におけるイギリスのアンドルー王子の訪中だろう。アンドルー王子は人民大会堂で李克強・国務院副総理と会見した(記事リンクはこちら)。そこには英国の王子と中国の次期総理となる李克強のツーショットが輝いている。

◆驚くべきは、アンドルー王子がこれに引き続いて薄熙来が書記を務める重慶を訪問していることだ。
by ogawakeiichi | 2012-10-03 21:40 | アジア史&思想
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