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彩遊記

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建築における日本的なもの・磯崎新

建築における日本的なもの・磯崎新_f0084105_17584783.jpg磯崎新「建築における日本的なもの」

磯崎新の著書を読むことは、彼の建築を見ることよりも建築的だ。というのは、建築物に関する文章に潜んだ彼のことばの構築の思考回路が、あたかも建築物を構築するように、一つずつ読んでいかないと理解できないことにある。半端な想像力だけではとてもまにあわない。読み手のかってな想像だけでは、現実社会とのかかわりをもった建築に関する磯崎新の思考回路をたぐるのは難しいのだ。

そういう僕も、。これを機会に磯崎新に食らいついていこうと思う。

そもそも彼が、建築における日本的なものを考える切っ掛けは、昭和初期に建築家タウトが伊勢神宮を絶賛したことにはじまる。以後、伊勢神宮を見ることは、パルテノン神殿とともに世界の建築家の最終巡礼地のような様相になってきた。

なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」は西行法師が伊勢神宮を訪れたときに詠んだ歌である。

磯崎新が『建築における日本的なもの』を書くにあたって、彼はこの「なにごとの・・」にはじまるこの特定できないものの正体が、「日本」や「日本的」なものじゃないだろうか、と仮定していく。

さらに彼は若いころから建築家として次の疑問をもっていた。
日本には、西洋的な「広場」が定義しにくいこと。それをあえて定義すれば、「界隈」とか「あたり」を持ち出すしかないこと。神も人格神や、形象的な神ではなく気配のようなものであること。その神が到来する場所は「ヒモロギ」や「ニワ」や「シメナワ」で仮に区切った結びでしかないこと。

結局、そうした日本の観念や精神のよってきたところを追及しようとすると「ヒ」(霊魂性)と「」(生命性)としかいいようがないと結論づけ、それ以来、日本の原型をととめる「イセ」や「カツラ」を本格的に検討しはじめた。

日本の建築界が伊勢神宮に関心をよせはじめるのは、1930年代に入ってからだ。先ほども述べたが「伊勢神宮こそ全世界でもっとも偉大な独創的な建築である」といったブルーノタウトの影響が大きかった。

ぼくは、06年10月にはじめて伊勢神宮を訪ねた。清清しい凛とした空気感に触れるのは久々の感覚だった。伊勢神宮には社殿を建替え、御装束や御神宝を新調して神さまにお遷り願う20年に一度おこなわれる式年造替がある。※次は平成25年。

磯崎新は、イセにあるものはこの式年造替に象徴される「始原もどき」ではないかと仮説した。
人々がイセに魅せられるのは、実はなかったはずの起源が隠されているからであり、そきにある建造物、そこで行われる祭、歴史的成立の事実すべてのことが隠されている。そのことが、イセの基本になっているのではないだろうかと仮定した。

いいかえると、地上に建てられているイセの神宮建築そのものは、その始原より以前を隠すために建てられたということだ

起源を隠すことが企てられ、そこに祭られているカミもまた、隠されることを必要とした。それを隠すための手段がイセのデザインを決定づけているということだ。

たとえば、正殿のデザインがクラとして用いられていた高床の校倉つくりであるのは、倉庫がモノを隠すことの比喩だからだ。

すなわち建築を発想に関して「始原をかくす」のに、高床の校倉つくりはきわめて適切な発想だ。西行法師が「なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠んだのも、この建築装置にあった。

西行だけではなく、西行ー世阿弥ー利休ー芭蕉のラインには、この「知らねども」や「・・・」が必ずあった。道元の禅にも、人形浄瑠璃にも写楽の浮世絵にも、これがあった。“これ”とはなにかといえば、「始原もどき」対する日本人の感受性のことだ。世阿弥や芭蕉、道元が言った「触れるなかれ、なお近寄れ」の気分のことだ。

しかし、もうすこし突っ込んで「始原もどき」に迫ってみると、それはおそらく「イツ」(稜威)ということだろう。

山本健吉は、この「イツ」を。生き延びる力の根源になるパワーを引き込むことと言っている。その力を得ることで未来への継承を可能にしていくような力のことである。

その「イツ」が動くとき、あるいはそれに触れようとするとき、近代日本はそれを復古主義、国粋主義と勘違いしてしまった。

出入りしたのは「イツ」だけではなく、ウツ(空=充)、ミツ(満=密)もある。いずれにしても、「イツ」なるものには論理やことばになりにくい。なぜなら、それは戦争や、知識の力で凹んだ暗い部分なのではなく、そのような暗い部分をもともともったCPUみたいなものなのだ。そのイツやウツやミツが、「始原もどき」のモドキとして、隠れているものだ、現れるものになった。こうして「日本的なもの」は、建築と器物と芸能を行き来するようになったのだ。
松岡正剛『千夜千冊より引用』
by ogawakeiichi | 2006-06-13 12:34 | 建築と情報
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