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彩遊記

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南日本新聞コラム・日本の夏

f0084105_1264059.jpg久しぶりにお盆を日本で過ごした。

子供のころの記憶にある田園風景や日本の風景を見たくなった。

デジカメを片手に、いつか映画でみたトトロの森のような風景をさがしながら、国道を使わないルートで父母のいる実家へと向かう。

年月を経てみると、子供のころは気づかなかった新たな発見もある。田園の中にぽつんとある森や、大樹の茂る森のほとんどに、神様が祭ってあるのだ。

ご先祖様の墓参りへ向かう。その途中、信号機の無い横断歩道があった。そこでは人が渡ろうとすると車が止まり、車が止まると歩行者は軽く会釈をして足早に渡っていく。なんとスバラシイ! 「美」ということばがあたまを横切る。

ぼくの暮らす中国じゃ、めったにお目にかかれない光景だ。

自宅近くを流れる甲突川に沿って歩いてみた。川の水が以前にくらべ、ずいぶん澄んできているのには驚いた。

流れを凝視すると簡単に、いくつもの魚の群れをみつけることができる。群れの中にはときおり色彩鮮やかな鯉こいがまじり、からだをひねるたび夏の日差しに銀鱗ぎんりんを輝かせている。

鯉影を追ってのんびり歩く。等間隔で泳ぐアヒルの群れに出合う。たぶんおやじを先頭に泳ぐアヒルの一家だろう。

梅ケ淵観音の入り口付近で川はゆっくりと右へとカーブをはじめ、左岸には大きな木が現れる。その木陰には、空き缶にお金を投げ込む無人の花屋さんが並んでいる。空き缶を置いただけの無人販売は、僕の知るかぎり海外では見たことがない。

河原へと下りる階段の入り口には大人用と子供用の二台の自転車が仲良くスタンドを立てている。川遊びをする親子連れが乗ってきたのだろう。

親子連れは、アヒルにえさをやる準備をしてきたのか、父親が息子になにか語りかけると、息子は近づいてくるアヒルを指差しながら、それとは反対の手で、えさを投げはじめた。

アヒルの家族は隊列をくずし、水かきをしきりにうごかし水面に浮かんだえさが流されるまえにすばやくキャッチする。ときにはダイレクトでキャッチする。まわりにはおこぼれにあずかろうとハトやスズメも集まってきた。ほほえましい光景だ。

甲突川は一時期、ゴミ捨て場のような時があった。川底に埋まった自転車、橋げたにひっかかったビニール袋、投げ捨てられた空き缶。異臭もしていた。そのころはちょうど日本が高度成長と呼ばれた時代と重なる。

高度成長はたとえて言えば、恐れと疲れを知らない青春時代のようなものだ。周りを見渡す余裕もなくイケイケムードで突き進んでいた。

ぼくの暮らす華南の桂林は、まさにいまがその状態。観光都市桂林は、奇峰群に囲まれた山紫水明といわれる美しい場所だが、市の中心を流れる璃江の水は甲突川の水質には程遠い。

里心がついたせいなのか、年をとったせいなのか、無性にふるさとのよさが心にしみる日本の夏だった。
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by ogawakeiichi | 2006-09-04 12:08 | 南日本新聞コラム
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