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彩遊記

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空海時系列

空海誕生から第16次遣唐使船に乗るまで


空海時系列_f0084105_21115812.jpg●第一番 善通寺(真言宗善通寺派総本山、香川県善通寺市)
空海誕生の聖地
佐伯直田公の屋敷跡、現大師堂
宝亀5年(774)、父・佐伯直田公、母・阿古屋
讃岐佐伯一族、言語(言霊)の一族
幼名真魚、「貴もの」といわれる、言葉の発達の異能


●第二番 屏風ヶ浦(香川県善通寺市・多度津町周辺)
誕生地旧地名、讃岐国多度郡屏風ヶ浦
善通寺付近の山々、大麻山(象頭山に連なる)
我拝師山・中山・筆ノ山・香色山・火上山の五岳山
詫間町荘内半島紫雲出山から見える山々
瀬戸内・讃岐平野の明るく温暖な風土


●第三番 仏母院(香川県多度津町)
母・阿刀氏阿古屋(玉依御前)の屋敷跡
阿刀大足、真魚の母方の叔父、伊予親王の侍講
胞衣塚(真魚のへその緒を埋めた)
童塚(真魚が泥で仏像を作って遊んだ)
「玉依姫」神話、吉野分水神社(子守宮)


●第四番 海岸寺(真言宗、香川県多度津町)
誕生地異説
奥の院「産湯の井戸」
母が身ごもった地ともされる四国別格二十霊場第十八番


●第五番 讃岐国学(香川県坂出市)
真魚の通った最初の学校
讃岐国府跡、開法寺跡などの史跡
後世菅原道真や崇徳上皇の悲話も残る
府中一帯には讃岐の国分寺・国分尼寺、その屋根瓦を焼いた窯跡


空海時系列_f0084105_21242285.gif●第六番 平城京の大学寮(奈良県奈良市)
延暦7年(788)平城京へ
長岡京で阿刀大足につき受験勉強
延暦10年奈良に残った大学寮・明経科に入学
中国の経書・史書を鄭玄や王弼などの註で暗記
岡田牛養・味酒浄成らの教授陣



●第七番 佐伯院(奈良県奈良市)
中央の佐伯氏の氏寺 奈良での真魚の寄宿地
平城京・五坊六条、現在の「八軒町東」の信号の南東部付近、
西に大安寺・薬師寺・唐招提寺、北東に元興寺、その北に東大寺・興福寺
佐伯今毛人・阿刀大足



●第八番 大安寺(高野山真言宗、奈良県奈良市) [
真魚が多くの渡来僧、渡来言語と出会った官大寺
佐伯院のとなり、長安・西明寺を模す
道慈律師、700年代の初頭に長安に渡り、のちに空海が止宿する西明寺に滞留、
善無畏三蔵に学ぶ、大安寺式伽藍の造営
勤操・戒明・神叡などと出会う
中国仏教・雑密・求聞持法の情報
平城京の国際仏教センター


●第九番 元興寺(華厳宗・真言律宗、奈良県奈良市)
真魚が神叡や泰範を知ったと思われる官大寺
佐伯院からほど近い、東大寺への途中
蘇我馬子が開いた飛鳥寺を平城京に移した寺
南都の法相・三論の学解、雑密を知る


●第十番 薬師寺(法相宗大本山、奈良県奈良市)
真魚が玄奘三蔵を知り法相・三論にふれた官大寺
佐伯院の西方、さほど遠からず
天武天皇が藤原京に建てたのを平城京に移す
薬師三尊・東塔(白鳳文化)
『成唯識論』の講筵・論義



●第十一番 興福寺(法相宗大本山、奈良県奈良市)
真魚が徳一・良弁を知り法相・三論を学んだ官大寺
朝廷貴族随一の藤原家の氏寺
藤原内麻呂の依頼で密教様式の南円堂の設計監督
7世紀宇治に建立された山階寺が飛鳥に移り
その厩坂寺を藤原不比等が奈良に移築
三論・法相ほか大乗の中心思想を学ぶ



●第十二番 唐招提寺(律宗総本山、奈良県奈良市)
真魚が鑑真和上と四分律を知った和上の止宿寺
8世紀初頭、聖武天皇が唐・揚州・大明寺の鑑真和上を招く
六度目の渡航でやっと日本へ 日本初の戒律の道場
南都六宗の兼学、官僧資格の具足戒



●第十三番 西大寺(真言律宗大本山、奈良県奈良市)
真魚がすでに伝わっていた密教仏や『大日経』の天平写本を知った東大寺に次ぐ官大寺
8世紀中頃、聖武天皇の娘・称徳天皇が建立、南都六宗の仏教情報
後に叡尊上人の真言律、現在大茶盛



●第十四番 東大寺(華厳宗総本山、奈良県奈良市)
真魚が勤操・佐伯今毛人などに連れられて出入りした「華厳国家」の総本山、
総国分寺・僧綱所(国家仏教の政庁)を兼ねた官大寺
仏典仏書・仏堂・仏像などの閲覧、華厳教学の修得
のち、空海は東大寺別当(国家仏教の頂点)に任じられる
東大寺の密教化-真言院の建立、潅頂の実施、四度加行の採用、
『理趣経』の勤行、修二会での咒師など
『華厳経』-『大日経』、「盧遮那仏」-「大日如来」



●第十五番 長岡京(京都府向日町・長岡京市) [PDF](329KB)
空海にとっての新都、長岡京大極殿址ほか
阿刀大足宅で3年の受験勉強
中国の経書・史書を素読・解読
藤原種継暗殺、早良親王が乙訓寺へ幽閉される事件



●第十六番 吉野山(奈良県吉野町)
19才、大学を出奔、空白の7年、山林修行の地
仮名乞児、雑密・修験
修験道の大峯奥駈道、吉野川の柳の渡し・金峯山寺・
大峯山の山上ヶ岳を経て熊野本宮大社に至るルート
「吉野従リ南ニ行クコト一日、更二西二向ッテ・・・」



●第十七番 大峰奥駆道(吉野柳の渡し~熊野本宮)
19才、大学を出奔、空白の7年、山林修行の地
修験道の大峯奥駈道、吉野川の柳の渡し・金峯山寺・大峯山の
山上ヶ岳を経て熊野本宮大社に至るルート
日本古来の宗教ベルト地帯
「自然と一体になる術」の垂直情報



●第十八番 熊野三山(和歌山県、熊野本宮・那智大社・速玉大社) [PDF](447KB)
19才、大学を出奔、空白の7年、山林修行の地
修験道の熊野古道小辺路と大峯奥駈道
吉野川の柳の渡し・金峯山寺・大峯山の山上ヶ岳を経て熊野本宮大社に至るルート
よみがえり(再生思想)の神域



●第十九番 福良湊・撫養湊(兵庫県南淡路市、徳島県鳴門市)
19才、大学を出奔、空白の7年、山林修行
四国・阿波に渡るルート「福良の渡」
明石の瀬戸に始まり阿波に至る阿波路の要衝
撫養街道の始点、四国八十八ヵ所遍路道の出発点
両湊の往来・蜑(水上生活者)の舟



●第二十番 太龍ガ岳(高野山真言宗、徳島県阿南市)
19才、大学を出奔、空白の7年、山林修行の地
阿国大瀧岳ニ躋リ攀ヂ 土州室戸ノ崎ニ勤念ス 谷響キヲ惜シマズ、明星来影ス
舎身ケ岳、虚空蔵求聞持法
太龍寺、四国八十八ヵ所第二十一番霊場



●第二十一番 鯖大師(高野山真言宗、徳島県海南町)
19才、空海伝説
塩鯖を背に乗せた馬の腹痛を治した大師伝説
食を求めて海辺におりてきた修行僧真魚
四国別格二十霊場第四番



●第二十二番 御厨人窟・神明窟(高知県室戸市)
19才、大学を出奔、空白の7年、山林修行の地
辺路行のの行場での虚空蔵求聞持法
「土佐ノ室生門ノ崎ニ寂留ス心ニ観ズルニ、明星口ニ入リ、
虚空蔵光明照シ来リテ、菩薩ノ威ヲ顕シ、仏法ノ無二ヲ現ズ」
起居生活の窟と修行の洞窟



●第二十三番 石鎚山(愛媛県、高知県の県境)
19才、大学を出奔、空白の7年、山林修行の地
四国における修験道場、山岳辺路行
「或るときは石峯(石鎚山)に跨つて糧を断つて轗軻たり」(『三教指帰』)
「名山絶?の処、嵯峨たる孤岸の原、遠然として独り向かい、
ひさしく留まりて苦行す」(『御遺告』)

●第二十四番 槙尾山寺(天台宗、大阪府和泉市)
20才で沙弥戒を受ける、剃髪得度した愛染堂
帰朝後筑紫観世音寺からすぐ京へ入らず、再度槙尾山寺に入り、
真言密教の体系を構想する
西国三十三ヵ所観音霊場第四番札所「施福寺」

●第二十五番 久米寺(奈良県橿原市)
24才、『三教指帰』で仏教入道宣言
『大日経』を感得、東塔のもとに発見
漢訳読解ではわからない『大日経』具縁品第二以下、
膨大な密教の「方法」(実習体系・事相)の集積
渡唐留学を決意したといわれる

●第二十六番 東大寺戒壇院(奈良県奈良市)
31才で具足戒を受ける、遣唐使の資格・官僧
渡唐留学の急な準備、金品調達
勤操・阿刀大足の手助け
西大寺に『大日経』の天平写本の存在
by ogawakeiichi | 2006-05-17 21:06 | 日本史&思想
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