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彩遊記

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墨子

f0084105_01657.jpg美術学部脇のビデオ屋でDVD『墨攻』を借りた。酒見健一の小説を森秀樹が漫画化してジェイコブ・C・L・チャン監督、アンディ・ラウ、アン・ソンギ出演による日・中・韓国合作映画だ。

映画の話はさておき、きょうは『墨攻』に描かれた諸氏百家のひとつ『墨家』である。

陽明学(明の時代)のような比較的新しい思想は、古代からその流れを追わないとなかなか理解しにくいが、

墨家思想は紀元前5世紀頃といわれているので、歴史的経緯はわりとわかり易い。
ただ、命を顧みないモチベーションが、うーーん。いまいちわからん・・

墨家はたんなる思想集団ではなかった。
戦国期の思想集団としても、同時期の儒家とは比較にならないくらい体系化された思想と、論理をもっていた。

ところが、始皇帝による秦の建国事業の中で、忽然と姿を消してしまう。
墨子は生涯不明なところが多く、生没年さえわからない。

墨子が創設した墨家学団の本拠は『魯』の国にあった。
孔子の学団とおなじ国である。けれども論語はいちども墨子にふれることはない。

一方孟子は、墨子のことをつよい調子で非難をしている。ということは
孔子より後、孟子より先ということになるのか。

いずれにしても諸氏百家の時代の半ば、紀元前5世紀くらいに墨子は活動していたに違いない。

この時期は『儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・農家・小説家』の九流十家に加え、
兵術・砲術・医学を専門とする諸子が、ある意味ではクリエイティブに、ある意味ではディスベートに争っていた時期である。

そうした諸家百家にあって、墨家がもっとも勢力をもっていた。
韓非子も、『世の顕学は儒墨なり』と書いている。

墨家はことごとく、儒家に逆らった。
孔子の論語が鬼神をあいてにしなかった。
反対に、墨子は鬼神をこそ確信すべきだと説いた。

墨家は、天志と明鬼の関与を信ずるがうえに、
人は天の志に従うべきだという哲学をもっていた。

天の下にいる人はすべからく兼ねあって博愛に徹するべしと説いた。
これが、有名な『兼愛』である。

儒教の愛は一家の愛を中心に国家愛までたかめようとした。
墨家はこれを別愛(差別愛)だとして非難した。
墨家の愛は世界史上初の普遍的博愛主義だった。

墨家の説く『兼愛』は君子と臣下のあいだに上意、下達の制度と哲学をおこなおうとするものに対しては邪魔なものである。
国をつくるにも障害になる。墨家はこのような事情から各派にきらわれ、排斥された。

一般に、人を殺すことは、どんな時代のどんな政治家も認めていない。それなのに、戦争になると、多数の殺害が平気で容認される。
一人の殺害を国法や社会の法で裁いている一方、他方では多数の殺害を正当化する何かが動いている。いったい戦争とは何であるのか、いっさいの哲学と制度と愛を踏みにじるためにあるものなのか。戦争を仕掛ける行為をこそ問うべきである。相手に攻撃をかけたい社会意識と国家主義こそ打倒すべきものである。これを墨家の『非攻論』という。


ところが、墨家はここからが異常なのである。『非攻』であっても『墨守』なのである。
戦いは決してしかけないがその戦いに屈することも肯えんじえない。

墨家はここで立ち上がって、守り抜くための戦争を断固として挑む。

墨家は頼まれればどこにでも傭兵的集団として、出かけていく。そのリーダーを『巨子』といった。

このような墨家集団が、秦の始皇帝の建国を前にして跡形もなくなくなっていく。

いったいなにが、おこったのか。ひとつには集団自決したと考えられている。

戦国時代が終結して、秦の始皇帝の一大事業に役割を果たせなかったのか、
役割を果たせたのにも関わらす評価されなかったという
事情も関与しているだろうと思われる。


墨守とは絶対に守り抜くということ。

墨家は『任』の字をしばしば標榜した。

この『任』は墨家こそ消えたものの、姿をかえて太平道や五斗米道に、また水滸伝のなかに蘇っている。

それにしても謎の多い、集団だ。かっての強靭な集団維持力と組織紐帯力が災いして、まるでヤクザか暴力団か、任侠の徒のごとく、国家の犠牲にたっていったのかもしれない。
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by ogawakeiichi | 2007-01-13 00:04 | アジア史&思想
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